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2021年9月6日

日本を元気に!あなたの街のささえびと~畠山博さん

2021年9月3日(金) かおり取材

横手市平鹿町浅舞 浅舞公園のすぐ近くには「忠義な猫の資料館」があります。この浅舞地域に130年以上前に実在した”村を救った猫”のものがたりを伝える場所です。「忠義な猫でまちおこしの会」会長、畠山博さんにお話を伺いました。

村を救った忠義な猫のものがたりは、横手市平鹿町浅舞の大地主、伊勢多右衛門の飼い猫のお話です。

                                           伊勢 多右衛門

「伊勢多右衛門は、貧しい人を助けたり凶作や災害に備えるために、感恩講という慈善組織をつくり、蔵に米を備蓄していました。また、人々に憩いの場を提供するため 私財を投じて自身の庭園を浅舞公園として開く工事を行いました。」と畠山さん。

「しかし、野ねずみが大量に発生し、備蓄した蔵の米を食いあさり、公園の公園の樹木や側溝を破損させました。深く憂えた多右衛門でしたが、飼っているメス猫が主人の願いをくんでねずみを退治。13歳で亡くなるまで日夜動いたそうです。こうして、民衆の命を守る米は守られ、浅舞公園も無事に完成しました。」

この物語、畠山さんが、ずっと疑問に思っていた浅舞公園の片隅にあった石碑から紐解いたものでした。この石碑には「忠猫(ちゅうびょう)」と刻まれ、猫が象られていました。

「当時、浅舞公園の片隅にあるこの碑の意味は、地元の人にも知られていませんでした。私も忠猫ってなんだろうと、ずっと疑問でした。そこで、小学校教諭の簗瀬均さんに伊勢家の古文書を読み解いてもらうと、この物語とともに、石碑の意味が分かりました。」

この忠猫の石碑は、飼い主の伊勢多右衛門によって建てられたものでした。

「村の米、公園を守った猫を、多右衛門は『なんという忠義者。老いてなくなったら猫明神として長く祀りたい。魂になっても、神社や公園内に害を及ぼすネズミなどを退治する守護神になってほしい。』と明治40年に石碑を建立したのです。」

畠山さんは、忠猫の石碑を大切にしようと、「忠義な猫でまちおこしの会」を地元有志と立ち上げ、会長を務めてきました。公園の片隅にあった忠義な猫の石碑を風雨から守ろうと、5年前、公園から移設。また、ものがたりを伝える資料を展示し、資料館を開きました。

こうした忠義な猫でまちおこしの取り組みは、広がり、紙芝居や、昔語りで物語を伝えるほか、

「忠義な猫サブレ」が発売され🍪、猫のお守りが完成!猫のオブジェが出来るなど、多くの人に親しまれています。

また、明治時代に建てられた猫の碑は大変珍しいと、研究者が拓本を実施。石碑に刻まれた文字や文様が今後、展示されます。「大館市は『忠犬ハチ公』、同じ秋田の県南横手市には『忠猫』がいます。今後も、横手市平鹿町から、仲間と共にこうして発信し続けたい」と話していました🐈

皆さんも、横手市平鹿町浅舞に伝わる忠義な猫にぜひ、出会ってください!また「忠義な猫でまちおこしの会」のホームぺージが開設され、情報が発信されています!