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2022年7月10日

上品な美しさとお茶目なお人柄で野口裕子さんのお話に引き込まれちゃいました!

野口裕子さん

7月10日のゲストは、心の花・東海林大心社長のご紹介で、秋田県芸術文化協会・会長、野口裕子(のぐちひろこ)さんです。

野口裕子さん

野口さんは、生田流宮城宗家直門大師範(筝・三弦・胡弓)です。
帯締めが鮎で今の季節にぴったりの夏のお着物でいらっしゃいました。

野口裕子さん

涼しげでとても良くお似合いです。
昭和13年生まれとお聞きし驚きました。野口先生は東京の赤坂見附生まれで、お父様の故郷が秋田県の横手出身。
5歳の時に疎開のために秋田にいらしたんだそうです。
戦争の足音が聞こえていた赤坂見附で過ごした4.5歳の記憶は今もしっかりと覚えていました。憲兵さんや兵隊さんの行進・戦車を見た時の恐怖も
語ってくださいました。
終戦後、お父様はお医者様であったことから横手に開業し、その時にお箏と出会いました。お母様は名古屋出身で芸事がお好きな方で赤坂に住まわれていた時に
筝曲家の宮木道雄先生の演奏を日比谷公会堂で素晴らしい演奏をよく聞いていたそうです。
そのお母様が宮城道雄先生直門の大庭景子恵子先生という方が横手にいらっしゃるのを見つけ、お箏との出会いがありました。そのとき、野口裕子さんは9歳の時だったそうです。
結婚し少しお休みした時もあったそうですが、ご主人のお仕事の関係で東京に行く事になり大庭先生の強い進めで宗家のところに一緒に連れていかれたそうです。
大庭先生は、「この子は大変才能のある子です。」と強くアピール!
今、こうしていられるのは、すべて大庭景子先生のおかげ!とおっしゃっています。
疎開のために来た横手にはお友達がたくさんいらっしゃいます。横手女子小学校(現横手南小学校)時代の同窓会など、今も開いているそうです。
「人との出会いで大切なのは、挨拶!ご挨拶さえ、きちんと出来たら大丈夫!60歳になったら嫌いな事はしない!70歳になったら好きな事だけやる!80歳になったら、勝手にやる!」
野口先生の言葉です。
何をお聞きしても、トークがお上手で茶目っ気たっぷりで聞き入ってしまいましたが、もっともっと聞きたいことが沢山ありますので、来月もゲストでおいで頂くことに
致しました。
大心社長も最初はお箏の世界はほとんど知らなかったそうで、ちょっと緊張していらしたようですが、野口先生のトークが始まると徐々にいつもの大心社長の柔らかい表情になり、
何度もうなずき熱心に聞き入っていました。今度はどんなお話をして下さるのか、とても楽しみです。❕

野口裕子さん

2022年7月3日

名古屋場所が始まりました。秋田が誇る元関脇豪風、押尾川親方の押尾川部屋を応援しましょう!

袴田代志富さん

7月3日のゲストは、元関脇豪風後援会事務局長の岡田昌さんです。

袴田代志富さん

3月においで頂いた時は押尾川部屋が間もなく完成しますよ。というお話でしたが、もう新しい土俵でけいこをし生活しているという事でした。

袴田代志富さん

Michikoは、皆さんより一足早く東京都墨田区押尾川部屋に行ってきました。

袴田代志富さん

玄関には、たくさんのお祝いの花や表彰状などが飾られていました。

袴田代志富さん

土俵はこんな感じです。

袴田代志富さん

押尾川部屋は、世話人や床山を含め8人でスタートしています。

袴田代志富さん

名古屋場所の間も、名古屋の方たちに歓迎されて、安心して過ごしているようですよ。
力士のなかで特に注目しているのは、親方と同じ中央大学出身の風賢央(かぜけんおう)。
身長183cm体重が130キロぐらいある大きな体を持つ力士。先場所、序の口優勝した力士です。これからどこまで上に上がっていくか楽しみです。

袴田代志富さん

秋田の皆さんには、押尾川部屋をぜひ見に来てください!と親方はおっしゃっていますが親方はやらなければならないことがいっぱいで、部屋にいない時もありますのでかならず連絡してから訪ねてくださいね。

2022年6月26日

名刺は3枚!第2の人生を謳歌し生きている袴田代志富さん

6月26日のゲストは、秋田市御所野にお住まいの中央市民サービスセンターサークル協議会 会長の袴田代志富(はかまだよしとみ)さん73歳です。

袴田代志富さん

袴田さんは「秋田歴史研究会の事務局長」や「御所野の歴史文化を語る会」の副会長としてもご活躍です。
プロフィールを見ると、袴田さんの職歴が素晴らしい!
三種町(旧山本町)で生まれ育った袴田さんは高校卒業後、18歳の時
1967年(昭和42年)に建設機械メーカーの日立建機(株)に入社、35年間務めます。
日立建機時代は仕事で多くの海外(ソビエト・イギリス・インド・タイ・香港・マカオ・中国・台湾)を訪問しています。
1999年(平成11年)には日立建機の子会社ハイワーク社を設立 専務取締役に就任なさいました。
2002年(平成14年)に早期退職制度に応募し35年間務めた日立建機を退職。
退職後は、日立建機の紹介で再就職支援会社HMJ社に就職。4年間の間に再就職支援に必要な資格をたくさん取得。
2006年(平成18年)には、ハローワーク秋田に入所。そこでは、HMJ社時代に取得した資格を生かして4年間、仕事が出来たそうです。
2010年(平成22年)には、秋田市役所に入所。住宅手当支給支援の仕事を2013年(平成25年)に退所するまで3年間務めました。
結果、通算46年間勤め上げました。
袴田さんは東京にいた頃、やっぱり故郷はいいもんだなあ!いつかはゆったりとした秋田に戻って暮らしたいなあ!と思っていた時のことを思い出し、
リクエスト頂いた曲は小笠原浄二さんの「びんだれ山」でした。
それぞれの仕事場で、常に一生懸命に勉強し働いてきた袴田さんの第二の人生は、さらに輝いています。
今は秋田歴史研究会の事務局長をつとめ、歴史研究をしています。東京に出て12・13年目の時に故郷から「山本町史」という本が送られてきて何気なく見ると
町の歴史のなかに自分の袴田家の祖先のことが書かれていて、自分の家系を調べてみたら面白いかもしれないと興味をもっていたそうです。それをきっかけに調べてみたところ
古文書を読めないと、なかなか調べられないことに気づき、古文書の勉強をするようになったそうです。なかなか進まない難しい古文書の勉強・・
ある時、秋田に帰ってから魁新聞で古文書講座があることを知り、秋田歴史研究会に入りました。
そして、今住んでいる御所野の歴史文化を語る会の副会長として、コロナ禍が始まる前までは学校からの依頼もあり
御所野小学校の6年生に御所野の歴史や文化を伝える講座を担当したり、様々な活動をしています。

袴田代志富さん

袴田さんは自分で調べ勉強した知識がしっかりと入っている方なので、とても分かりやすくトークがとてもお上手でした。
Michikoは、今週もたーくさん素敵な生き方を勉強させて頂きました。

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