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2022年1月30日

指物師・現代の名工 佐藤咲夫さんはキノコ採りの名人でもありました

1月30日のゲストは、現代の名工や数々の賞を受賞されている指物師・佐藤咲夫(さきお)さん71歳。ABSラジオのリスナーさんで小中学校の同級生からご紹介頂きました。

佐藤咲夫さん

佐藤さんは、昭和43年秋田県立矢島高等学校卒業後、本荘市内の建具店に就職。昭和61年には、全国一級技能士技能競技大会で第1位。労働大臣賞受賞。本荘由利技能競技大会で第1位(5回受賞)

平成8年に建具店退社。同年、木工芸工房 咲(さき)開設
平成10年~15年  伝統工芸新作展「現、東日本伝統工芸展」5回入選
平成22年度   秋田県優良技能者表彰
平成23年度   秋田県芸術選奨受賞
平成26年度   森の名手・名人に認定「公益社団法人・国土緑化推進機構」
平成29年度   卓越技能者表彰「現代の名工」に選ばれる。
第14回 北前船寄港地フォ―ラムin秋田・土崎において「秋田を輝かせる人達30人」に選定。そのほか秋田県内各種展示会において、秋田県知事賞16回、新聞社テレビ局社長賞など40回以上受賞。まだまだ数えきれないほど、様々な作品展示会で大賞などを受賞。
さらに、個展やグループ展などを全国有名百貨店(主に東京)ギャラリーで100回以上開催。

佐藤咲夫さん

受賞歴を簡単にご紹介しましたが、こんなに凄い方なのにご本人にお会いしてみると、とってもシャイでやさしく真面目な方でした。スマートで髪の毛を後ろに束ねた佐藤咲夫さんはとてもオシャレでカッコイイ。

佐藤咲夫さん

工房にお邪魔して驚いたことは、指物師ですからもちろん想像してはいたのですが、機械のようなものはひとつもなく、本当にすべて手作業だということ。幼い頃は、子供同士で遊ぶのは苦手で、山に行っては山菜とったり木の枝などを拾ったり、特におばあさんについて行っては、山や木のこと、キノコの名前を教えてもらったりするのが好きだったそうです。

佐藤咲夫さん

山のことは楽しみながら自然に覚えた佐藤咲夫さん。森の名手・名人にも認定されているんです。今があるのは、おばあさんのおかげかもしれません。

佐藤咲夫さん

佐藤咲夫さん

お訪ねした時、たくさんのキノコと干し柿を頂いてきました。調理の仕方や食べ方まで教えていただきました。やっぱり名人の教えのとおりにしたらびっくりの美味しさでした。
コロナ禍が落ち着いたら、またお訪ねしたいです。

2022年1月23日

大沢勉さん元プロ野球選手

12時間にも及ぶ胆管がんの大手術後、半年、元気な姿を見せてくれた元プロ野球選手、大沢勉さん。今の医療の素晴らしさ、お医者様・看護師さんはじめスタッフの素晴らしい対応を受け、感謝の気持ちとお医者様のいうとおりにしていたら、必ず病気は克服できると思うのでと今現在、病気で悩んでいる皆さんにむけ、強く語りました。

金澤武さん

1月23日のゲストは、日本ハムファイターズなどで活躍なさった元プロ野球選手で、現在はリトルシニア能代の総監督大沢勉(おおさわ つとむ)さん73歳です。今も立派な体格で、現在の体重73キロということですが、手術前に比べるとかなり体重が減っているようです。(Michikoからみたら、今のままでちょうど健康体って感じですけどね。)

去年の6月、今までに感じたことがない倦怠感があり歯磨きをするために鏡をみたら顔色が黄色なので驚き、すぐかかりつけのお医者様に飛んでいったそうです。診断結果は、黄疸。すぐ大きな病院へ紹介状を書いてくださり、即入院。大きな病院での診断は、胆管がん。
12時間にも及ぶ大手術後、コロナ禍でもあり家族や友人にも頻繫に会うこともできず、気分が落ち込み、今までのように子供達へ野球の指導ができるのか?など不安になったこともあったようですが、徐々にまた野球への情熱が蘇って来たようです。

金澤武さん

大沢勉さんは、1948年(昭和23年) 5月23日能代市二ツ井町で誕生。1964年(昭和39年) 合川中学校2年から野球部に入り秋田県中学校野球大会に初出場。1965年(昭和40年) 秋田県立能代高校入学・野球部入部。能代高校では、同じく元プロ野球選手・山田久志さんと2年3年の同級生で、ピッチャーが山田さんのときはキャッチャーが大沢さんで試合をしたことが多く仲良かったそうですよ。プロになってから対戦することもあったそうです。
1967年(昭和42年) 能代高校卒業後は、日本鉱業日立鉱業所入社。

日鉱日立野球部では、社会人野球スポニチ全国大会優勝。都市対抗野球大会日立製作所チーム補強選手として出場するなど、大活躍。1971年(昭和46年) 東映フライヤーズ入団。1972年(昭和47年) 日拓ホームフライヤーズ入団(ジュニアオールスターズ出場・ベストナイン受賞)。プロ2年目の春のキャンプで、元プロ野球選手3000安打達成者の、あの張本勲さんと1カ月同じ部屋で過ごしたことがあるそうです。張本さんは見かけとは正反対で、とても気持ちの優しいかたでなんでも相談できる、とにかくやさしく親切な方だったそうです。みんなと一緒の練習を終えた後の個人練習がすごかったそうですよ。個人練習は誰にも見られないようにしていたとのこと。1973年(昭和48年) 日本ハムファイターズ入団(ジュニアオールスターズ出場)。日本ハムファイターズ退団後・大高酵素(株)に入社。

野球しか知らなかった大沢さんは、新しい仕事を覚えようと一生懸命。35年前、岩手県盛岡市で仕事をしている時、小学校4年生だった息子さんが野球をすることになり、チームを覗きに行くと当時、盛岡では硬式のボールを使っていたことに驚き、しかも秋田の男鹿市から硬式の練習をしたいと毎週土日、盛岡に通っている夏井4兄弟がいることを知り、秋田では当時まだ硬式で練習しているところがひとつも無かったので、いつか秋田に帰って硬式のチームを作ろうと思っていたそうです。大高酵素を退職した16年前、ついにその思いを果たしリトルシニア能代チームが誕生したのです。今は、硬式で指導するチームが秋田県に6チームあるそうです。

金澤武さん

大沢さんの夢は、まだあります。それぞれの場所で行っているチームを1本化すること。考えてみると、病気するまで自分の体に自信過剰で栄養のバランスなど考えなかった、とおっしゃる大沢さん。今はお酒も飲まずに、お医者様のいうことを聞き、夢の実現のために頑張っている様子。奥様にも言葉ではなかなか表現できないようですが、かなり感謝しているようでした。3年後、5年後にも元気な姿でスタジオにおいで頂けたら嬉しいです。この冬は、雪かきを一生懸命やっている大沢さん。あまり無理しないでくださいね。

2022年1月16日

明日への活力!ツイスト(ダンス)が上手な金澤武さん

1月16日のゲストは、秋田県スキューバダイビング連盟会長で、(有)セーフティ保険コンサルティング代表取締役社長金澤武(かねざわたけし)さん(56歳)。

金澤武さん

金澤さんは高校時代、1950年代から70年代に流行ったオールディーズの音楽が好きになり特に、エルビス・プレスリーのロックンロールが気に入ってよく聴くようになったそうです。ツイストは、ビデオテープで映画アメリカングラフィテーなどを見て勉強したり、鏡台の前でツイストを踊っている自分の全身を見て、かっこよく踊れるように練習したり、八橋公園の野外ステージで踊ったり、ダンスホールを貸し切ってダンスパーティーを開いたり、
当時はかなりのテディ―ボーイだったそうです。

時代は変わって、秋田市出身の桐生大輔さんがエルビス・プレスリーの曲を歌っていることを知り、それ以来、桐生大輔のライブには必ず行き、ライブを金澤さんのツイストで盛り上げ今や、男性では桐生大輔の一番のファンになっています。

金澤武さん

金澤さんいわく、あのエルビスが着ていたジャンプスーツが似合うのは、西城秀樹と桐生大輔しかいないとまでおっしゃっています。ライブを思いっきり盛り上げようと、エルビス時代に流行っていた紙テープ(ステージに投げても危なくない様にテープの芯をとったもの)など小道具も持参して会場に入ります。しかも、頭のてっぺんからつま先まで凝った衣装で、高校生のつもりになって思いっきり楽しんでいます。金澤さんが踊りだすと、いつも可愛い女性が一緒に踊っています。その方が奥様なんですって。

金澤武さん

結婚式では、新郎の武さんがエルビスの「好きにならずにいられない」を歌いながらキャンドルサービスをしたそうです。びっくり。他にもスキューバダイビングや土崎港曳山まつりなど多趣味の金澤さん。お仕事も順調でお忙しい日々を送っていらっしゃいます。

金澤武さん

好きな事をするときは、思いっきり楽しむこと!これが明日への活力になっているのですね。新型コロナが早く落ち着いて、またいつもの生活が送れるように心から願っています。
この日、金澤さんは土崎曳山祭りの時に着る新町町内の、ゆかた生地で作ったマスクをしていたんです。郷土愛にも熱い方なんですね。

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