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2021年12月28日

大仙市に地域密着型のデジタル教室「ミノーズ」を開業した箕輪正志さんは、 ラジオ大好きさんでした。

12月19日のゲストは、箕輪正志(みのわ まさし)さん40歳。箕輪さんは長野県佐久市出身で、大仙市に移住してから12年目になります。箕輪さんは、ラジオが大好きで子ども時代から全国のラジオを聞いていたそうですが、夜間はABS秋田放送のラジオが長野県佐久市でもよく聞こえていたそうです。そんなことからMichikoのことは昔からよく知っていて、お会いした時とても感激してくださいました。嬉しかったぁ。

箕輪正志さん

22歳の時に仕事のために山形県に住んでいましたが、20代の後半に体調を崩してしまいました。そんな時、大仙市に住んでいた友人から「大仙市は過ごしやすいから、来てみたら?」と勧められ2009年に移住。花火が大好きという理由だけで移住したそうですが、長野県佐久市と似た美しい風景とおいしい米や野菜、友人やご近所・地域の方々の優しさのおかげで体調を崩すこともなく楽しく生活しているそうです。

箕輪正志さん

仕事と同時に、趣味でパソコンやタブレット・スマホの使い方をシニア世代の方たちに
教えていたそうですが、今年の3月に自分で地域密着型・出張サポートのスマホ教室を
開業しました。今ではスマホだけではなく、パソコンや電子機器の困りごとや新しい事にチャレンジしたいという方からの依頼に応えているそうです。スマホ教室ミノーズは、スマホやパソコンで「大仙市のスマホ教室ミノーズ」で検索するとすぐ出ます。大仙市以外の方からの相談もオンラインなどで応えることもできるそうです。

箕輪正志さん

箕輪正志さんの好きな言葉は、「人からしてほしいと思うことは、すべて人にもしなければいけません」ですって。自分を相手の立場に立って仕事をすることがミノーズのテーマなんだそうです。電話などでの相談は無料。レッスン料は1時間500円。大体は1時間で解決するそうですよ。とても優しく穏やかな感じの箕輪さん、シニア世代の方々も安心して相談できそうです。
電話番号は、0187-73-7511です。

2021年12月12日

NPO法人フォレシア代表理事・佐藤高輝さん

12月12日のゲストは、心の花・東海林大心社長のご紹介で、不妊治療と仕事の両立をサポートするNPO法人フォレシア代表理事・佐藤高輝(こうき)さん

佐藤高輝さん

佐藤さんは1985年、秋田市生まれの36歳。高校卒業後、地元の建設関係の企業に就職。
24歳で結婚しました。26歳で独立。庭づくりのエクステリア会社を設立し庭の設計などの仕事をしていました。なかなか子供が出来ない事から病院に行って27歳のときに不妊治療を開始。結果、体外受精で二人の子供を授かったそうです。
2017年、自身の経験から事業型NPO法人フォレシアを設立、2020年には法人向けに、不妊治療と仕事の両立支援事業を開始しました。同時に秋田県とFS事業の委託契約を締結。不妊治療の地域格差の改善にも取り組んでいます。

佐藤高輝さん

日本国内では現在5.5組に1組が不妊治療をしていると言われていて、4人に1人が不妊治療が理由で離職しているそうです。人工授精と体外受精によっても違いはありますが、とくに体外受精のできる病院は秋田県で3件(秋田市で2件)しかないそうです。通院の頻度が多くなると、仕事との両立が出来なくなり、離職するしかなくなるのが現状とのこと。
また、いま現在不妊治療のための有給休暇などがある企業は少なく、費用なども保険適用外になっていて経済的な問題などもたくさんあります。(来年の4月には保険適用になると言われていますが…)

佐藤高輝さん

佐藤さんは、秋田県だけではなく全国の企業にアドバイスしたり企業で働く方たちが安心して仕事が出来る環境を作るために、動いているのです。驚いたことに日本は、世界で一番体外受精している方が多いそうです。佐藤さんは、不妊治療についてもの凄く勉強していて感心しっぱなしでした。佐藤高輝さんは奥様と大変な不妊治療した結果、二人のお子さんを授かり、いま最高に幸せだからこそフォレシアの活動を生き生きとできるのだと思いました。

2021年12月5日

60年間テニスを愛してやまない続克明さん

12月5日のゲストは、続克明(つづき かつはる)さん89歳。小坂高校の山口清彰先生から「まもなく90歳になる元高校教師の方ですけど、とにかく驚くほどお元気な先生なのでゲストにむかえてお話を聞いてみてください」と紹介して頂き、さっそく連絡しておいで頂きました。

続克明さん

山口先生のおっしゃるとおり、ABS秋田放送のロビーにいらした瞬間、姿勢がよく動きが早い続克明さん。とても、まもなく90歳になる方には見えません。お話を伺って、さらに驚く事ばかり。
続克明さんは、1932年(昭和7年)4月1日生まれ。その頃お父様はすでにテニスをしていて、幼い頃よくお父様について行って見ていたそうです。公立学校の教師として35年間勤務した後も、県内のたくさんの高校からテニスの指導を頼まれたほどテニスの指導力に優れた方なのです。昭和50年代、秋田工業高校では4年連続全県優勝するなど優れた成績を残し、教え子の中には大学で大活躍した方や全国トップレベルの指導者になった人もいます。今、続先生は自分史「コートの片隅で」を執筆しています。

続克明さん

現在、先生は秋田市土崎港相染町沼端の光沼近隣公園内にある光沼アリーナの屋内コートで、シニアのテニスグループ仲間の方たちとテニスを楽しんでいるそうです。光沼近隣公園の駐車場には小さな慰霊碑があって、その石碑には「祈平和」土崎被爆市民会議と書かれています。昭和20年8月14日夜10時半から4時間にわたる土崎空襲。その時に逃げてきた多くの人が光沼に入って火傷した体を冷やしたそうです。続先生は、必ず慰霊碑に一礼してからテニスコートに行っています。昭和20年の8月15日の昼頃、秋田中学の2年生だった続先生は学校の運動場に整列し終戦を告げる玉音放送を聞いたそうです。今は、平和を願い生涯スポーツとしてテニスの楽しさを教え、テニスの普及に努めています。テニスコートの近くに飛んできた鳥や昆虫・草花の写真を撮り写真展や展示会をしています。

続克明さん

昆虫

昆虫

「長い間、奥様に子供の事や地域の行事など全て任せっきりで、自分はテニスだけに専念できたので感謝している。今は恩返しだと思って同い年の奥様に尽くすんだ。」とおっしゃって、いま奥様の介護に一生懸命です。奥様は、30年も前から野鳥の会に入っていて、パソコンでも何でもこなす頭の良い女性と教えてくださいました。尚、続先生はクラシック音楽が好きで、ベートーヴェンやブラームスの曲をリクエスト曲に選ばれました。昭和33年ごろ小坂高校の教師時代、ブラスバンドを作るように言われた続先生は、楽器を触ったことも見たこともない生徒たちに教え、2年半でブラスバンドを作り康楽館で演奏会を開いたところ、町の皆さんが会場溢れるほど集まって大絶賛だったそうですよ。

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