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2021年2月21日

まるで美術館みたーい!!時間を忘れ楽しめ秋田を感じられるお店・食器のさかいだ!

2月21日のゲストは、秋田市の仲小路商店街にある「食器のさかいだ」株式会社境田商事・代表の境田幸子さん。お互い20代の頃からのお付き合いです。40年以上たった今も、常に周りを見ながら前に進む姿勢は、仕事の内容が変わっても同じです。(出会った頃の境田さんは、県職員でした。)

境田幸子さん

お店の様子です。季節感を大切にしているので四季を先取りして店内を飾っています。アイディアいっぱい! お雛様の絵手紙も…。

お雛様

お雛様

こちらは、2階にあるティ―ルーム陶のランチ!これにコーヒーがついて700円!何をいただいてもおいしくって、ヘルシーで健康と美容を考えたメニュー!

ランチ

ほかにも書ききれないのですが、2階には秋田の若い作家さんたちの作品・アクセサリーや小物・スカーフなどもあります。12年前に当時社長だったご主人が亡くなり、その後を引き継いだ幸子さんですが、ご主人が大切にしていた言葉!「秋田があるから自分達が商売出来ている。だから秋田を大切に、仲小路商店街のことも、1店舗だけ元気じゃダメ!とにかく商店街を皆さんに歩いて貰って、どの店舗も元気でなければ!」。

境田幸子さん

夫婦というより、同志のような関係だったという幸子さんは、今もご主人と会話をしながら、行動しています。従業員の方たちからエレベーターを禁止されていて、毎日1階から3階まで階段で何度も往復!これが境田幸子さんの健康の秘訣のようですよ。

2021年2月14日

介護支援専門員の須田裕人さんがいるだけで、スタジオがゆったりした空気に包まれました。東海林大心社長も、癒された!とおっしゃるほど素敵な方でした。

2月14日のゲストは、心の花・東海林大心社長のご紹介で、羽州人ヒーリングカンパニーの須田裕人さん(53才)でした。昨年の12月に立ち上げたばかりという会社の名前が珍しいので、どんなことをする会社なのか?頂いた名刺を見たら大体のことが書かれていました。

立ち3ショット

指定居宅介護支援事業をする会社であること。お父様の介護と24年間務めた福祉関係のお仕事の経験から本当に必要な支援を親身になって行っていく会社です。大事にしたいことは、ご利用者様ご本人・ご家族との話し合い、笑顔、信頼関係。コロナとインフルと書類に負けない!資格もたくさんお持ちです。「メンタルマネージャー、サプリメントアドバイザー、ヨガ教師(日本ヨーガニケタン認定)、英語も少しなら…。」

座り3ショット

趣味もたくさん載せていますが、目についたのは、4コマ漫画!その趣味をお仕事にも活かしています。実際に体験した会話や出来事を4コマ漫画にして、会社紹介のパンフレットに載せているのです。

4コマ漫画

隠しごとは、一つもなく自分を全て出して利用者さんに向かっているのです。自分は、ビタミン剤でありたいし、自分もビタミン剤を利用者さんから頂いているとおっしゃる須田さん!秋田が大好きで、心の癒しを大切にする会社!羽州人ヒーリングカンパニー、須田さんにぴったりな会社名ですね。

立ち1ショット

2021年2月7日

民謡歌手の進藤義声さんの名前は芸名で、本名は進藤義雄さんでした。

2月7日のゲストは、秋田県民謡協会相談役であり義声会の主宰者・進藤義声さん(86才)。約40年前からの知り合いなのに、先日、秋田魁新報に掲載された「時代を語る」のシリーズを読むまで、知らなかったことが、たくさんあって驚き、改めて進藤さんにお聞きしたいと思って、スタジオにおいでいただきました。

進藤義声さん

進藤さんは、1934年、秋田市下北手の農家に生まれました。最初に出会ったころとほとんど変わらない風貌で、まずはお年を聞いて驚きました。お若い!下北手尋常高等小学校(現・下北手小学校)に入学したばかりの4月20日にお父さんが亡くなり、それからというもの、お母さんと大好きだったおばあさんの手伝いをしながら、一生懸命生きてきた子ども時代。歌は何でも大好きで、学芸会では独唱を任されたり、6年生の頃、盆踊りのステージで酒屋唄をうたったのが、初舞台だったそうです。

進藤義声さん

1950年、中学校を卒業してからは「家のために働かなくては!」と新聞配達のほかに、大工の手元の仕事をして働きました。戦後まもなくで、カタカナや英語の文字をよく見かけ、英語に関心をもつようになった進藤さんは、勉強したくて、偶然見かけた定時制の募集チラシをみて受験。当時の秋田県立秋田南高校(現・秋田高校)の定時制課程に入学したのです。自分自身で働いたお金で高校に入ったのに、「校章のついたボタンを取りなさい。貧乏人が入るような学校ではない!」などと、嫌がらせを受けたこともあるようですよ。

収録風景

悔しいことは、たくさんあったはずなのに顔には出さず、いつも穏やかで真面目な進藤さん。その人柄か、相談にのってくれたり励ましてくれた方もいらっしゃいました。大工さんの手元をしていたときの棟梁さんや、民謡歌手になるきっかけを作ってくれた先生たちがいました。師匠の進藤勝太郎さん、秋元政吉さん、音楽の小田島樹人先生。国語の岩谷嘉一先生など、自分の歌声を褒めてくれた人たちのことは忘れていません。

民謡番組

そして20代になってから、お世話になり忘れられない人としてあげたのが、尺八奏者の鎌田筧水さん。筧水さんは、ABS秋田放送がテレビ放送を始めた昭和30年代半ばごろから、民謡番組の専属伴奏者になっていて、進藤さんは筧水さんから誘われて民謡番組に出演するようになったそうです。永沢千恵子さんからは太鼓を指導してもらったそうです。

民謡番組

1966年、29才のとき、東京の蔵前国技館で開かれた全国郷土民謡協会主催の全国大会で「秋田追分」を唄い、優勝したのも、筧水さんが出場するように勧めてくれたから。筧水さんとの出会いがなかったら、今の自分はいない!ABS秋田放送は、自分を育ててくれた、という有り難いお言葉もいただきました。

2ショット

86才になった今も、公民館4か所で民謡を教えていらっしゃいます。進藤さんのいつも穏やかで温和なお人柄に、学ぶべきことがたくさんあります。今回は、子ども時代から若い時代のお話を中心にお聞きしましたが、まだまだ聞きたいことがあります。長生きして、またスタジオでお話を聞かせていただきたいです。

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