ニュース
テレビ
ラジオ
イベント・映画
アナウンサー
番組表
動画配信
ブログ
ABSあぷり
SNS
2022年10月16日

自分自身との闘いに挑み続ける小林努さん90歳

10月16日のゲストは、全日本マスターズウエイトリフティング選手権大会で90歳の部に出場した小林努さん

小林努さん

小林さんには、3年前にもスタジオにおいで頂きました。その時は、「カナダで行われるマスターズウエイトリフティング競技選手権大会の世界大会に出場する驚きの87歳」ということでお話を伺いましたが、今年、秋田で3年ぶりに開催された「全日本マスターズウエイトリフティング選手権大会」の90歳の部73キロ級に出場し優勝。
まだ挑戦し続けていることを知り再びスタジオにおいで頂きました。

小林努さん

小林努さんの故郷は福島県。法政大学卒業後、秋田県のウエイトリフティングのレベルアップのために尽力された方です。
最初は昭和36年に開かれる秋田国体のために指導を依頼され国体が終わったら秋田を離れる予定だったそうですが、国体で場内アナウンスをしていた女性と知り合い、結婚。以来65年、秋田県人として活躍していらっしゃいます。
小林努さんは、昭和39年の東京オリンピックでは日本代表チームのコーチもされていて、
金メダリストの三宅義信選手や八郎潟町出身の一ノ関史郎選手などを指導した偉大な方なのです。
コロナ禍で大会が2年続けてできなかったことや、世界大会には、さすがに出場は諦め日本国内で行われる大会に絞り出場しているのです。
90代に入っても健康で、仕事をしながら好きな事を続けられている秘訣を教えて頂きたく色々お聞きしました。
小林さんのお仕事は行政書士。名刺には、日本行政書士会の会員で立ち上げた一般社団法人コスモス成年後見サポートセンターの会員で、成年後見人としての新しいお仕事の内容も書かれています。
えー?90歳の方が困っている人のために成年後見人をしているの?って
益々、驚いてしまったのですが、どうも健康の秘訣は、頭はもちろん体全体を使う事。
食べ物にはかなりこだわっていて、自分で食べるものは、自分で買い物をして自分で料理をするのが好きだという小林さん。
全てが自分が好きなように行動する。(自由にできる環境を作っているご家族も偉いですね。)
これが小林努さんの健康の秘訣かな?
この調子だと、小林さん100歳になってもいろんな事に挑戦しているかも。
その時は又スタジオにおいで頂こうって思いました。楽しみが又ひとつ加わりました。

小林努さん

2022年10月9日

喜寿を迎えて、最高のお父様に感謝の思いをと自分史を書いた千葉美栄さん

千葉美栄さん

10月9日のゲストは、心の花・東海林大心社長のご紹介で千葉美栄(ちばみえ)さんをスタジオにお迎えしました。

千葉美栄さん

喜寿の記念に、大好きだった今は亡きお父様(天野千代之助さん)と共に生きた証しとして自分史をお書きになった方です。

父の子

父の子

昔の写真をたくさん持って来てくださいました。本の中にもお父様と一緒の写真がたくさん載っています。

父の子

父の子

今も、きりっとした美しい美栄さんですが、お若い時のお顔は女優さんかしらと思うほどの美しさにウットリしちゃいました。

天野千代之助さんは秋田師範学校本科第二部大陸科を卒業と同時に中国に渡り、北京西城第一日本国民学校の教師として勤務。
日本人相手の魚屋さんを営んでいた長野県出身、佐野家の敏子さんと結婚。
昭和20年(1945年)7月20日に美栄さんは北京で誕生しました。日本は戦争に敗れ8月15日に終戦を迎えます。日本人はそれまでの恵まれた環境から一瞬で、惨めで命の危険にさらされる生活に落ちてしまうのです。
昭和21年(1946年)千代之助さん(24歳)敏子さん(22歳)美栄さん(1歳6カ月)の時に天野一家は中国からの引き上げ船に乗ったのです。
本の前書きにこんな文章が綴られてました。
「平成23年(2011年)3月18日旅立った父の言葉
*俺がいたから残留孤児にもならず、今年も終戦記念日を迎えられるんだぞ。
お前を背負った帯を握った手の汗を今でも思い出す。
いつもお前の命を握って来たのがこの手なんだなあ
 と
ベットの上で白く細くなった自分の手を見つめていた父。私は二度も父に命を救われたのだった。
・東日本大震災の奇跡(平成11年(1999年)3月)
前日まで夫と仙台を旅し難を逃れた私達の事を 俺が守った と言い切り、その一週間後に私達夫婦の身代わりのように旅立った父だ。
そんな父を思いながら最高の父親に感謝と、共に生きた証しとして
喜寿を迎えて自分史を書き残すことにした。」
この前書きを読んだだけで戦争の悲惨さが伝わり胸が苦しくなり内容に引き込まれ、一気に読んでしまった千葉美栄さんの自分史です。
天野千代乃助さんは、戦後、郷里(天王町二田)に帰り戦争で荒れすさんだ中から地域のために人々の心を癒し地域や人々のために闘い教師として堂々と生き抜いた立派な方です。
そんなお父様から影響を受けた方だから、美栄さんのこれまでの生き方になったのだと思いました。
昭和42年にお父様が気に入ってすすめてくれた千葉茂夫さんとの結婚。お父様の目は正しく茂夫さんは優しく大人で美栄さんが自分らしく生きられ幸せな生活を送りました。
千葉美栄さんは、お父様の生き方と同じように、地域のために人々のために尽くしてこられた方です。
昭和51年(1976年)から30年間も秋田市の「童ッコの雪まつり」の実行委員会をスタートに、ボランティアなど
ここに書ききれないほど、活動されてきた方です。
現在は、22歳から続けてこられたという「茶道」だけ残して活動しています。
お着物姿の美栄さんを見るのが大好きだったお父様も茂夫さんも応援してくれたお茶の道。
美栄さんはこんな風に綴っています。
「茶室の小さな空間の中で 厳しさ、優しさ、美しさ、醜さ、合理的で簡素な手前と四季折々の楽しみを想い出の好きな道具で一人過ごす時間が好きだ。」
千葉美栄さんからは、まだまだ教わることがたくさんありそうです。

掲載されている記事・写真等すべての無断転載を禁じます。Copyright © Akita Broadcasting System. All Rights Reserved