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2023年6月18日

吉田義人さん 続編

ラグビー界のレジェンド吉田義人さんは、お姉さんが大好きな少年でした。
秋田工業高校のラグビー部1年生からレギュラー選手に選ばれ、全国大会で優勝したにもかかわらず家出したことがあるというお話を聞いた時、「えー!どうして?」って思いました。理由は、レギュラー選手は練習前の掃除などしなくていいことになっていて、あの楽しかった友人たちと一緒に行動出来ないこと。2年生や3年生でもレギュラー選手になれなくても頑張っている先輩たちがいるなかで…。いろいろ悩み、生きていること自体が辛くなったのだそうです。

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学校に行きたくないという思いが強くなり、ある冬の日、男鹿線に乗って秋田市内の映画館に行き、昼ごろから夕方まで同じ映画を見て過ごし、その後何事もなかったように家に帰ったら2日目には簡単に見つかってしまったそうです。学校から家に「義人君が学校に来ていないが、どうしたのか?」と電話がありバレてしまったのです。保健室のさとう えいこ先生や担任の中村先生にも見つかり、「いったい何があったんだ!」と先生たちに聞かれ、「とにかく今は、北海道の札幌にいる姉に会いたい。」と話したところ、「お姉さんに会って来なさい。」と、さとう えいこ先生が汽車賃を渡してくれて、その日の最終列車に乗って北海道に向かったのです。

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眠れなくて青函連絡船の甲板に出たら、「ここで死ねるんだなあ」って思っていたけど、家族や先生たちが目に浮かび、今はとにかく札幌の姉のところに行こうと函館から札幌に向かう汽車に乗ったところ、ハッとする情景を目にするのです。それは、大きな重そうな荷物を背負っている80歳ぐらいのおばあさんの顔を見ると、目が爛々と輝いていて素晴らしい。
「俺はなんて小さい人間なんだろう!」って思ったのです。
無事に、当時札幌で働いていたお姉さんと会うことができ、そこで1週間ぐらいいたそうですが、ある日、お姉さんはケーキを買ってきてくれたそうです。その日は2月16日。義人さんの誕生日だったのです。お姉さんは、可愛い弟・義人さんの誕生日をちゃんとわかっていたのですね。多分、義人さんはそれどころではなく、自分の誕生日も忘れていたのでしょう。その時のことを吉田さんは、はっきりと今でも覚えているのです。

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秋田に戻り学校に行ったら、「また一緒にラグビーやろう」ってみんなが迎えてくれて、それからまた頑張って3年連続で花園に行き全国制覇したのです。
この出来事があったから、絆がもっと強く築き上げられたのかも知れません。吉田義人さんのラグビー人生は、幼い頃の友人たちとラグビーをして楽しくって楽しくって毎日が輝いていた時代が土台になっているんですね。今、自分から秋田のために後輩たちへラグビー指導に来ているのは、自分のために支えてくれた友人や先生たち、お世話になった沢山の方々への恩返しなんですね。

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現在、吉田義人さんは一般社団法人・日本スポーツ教育アカデミー理事長であり、10年前に立ち上げた日本初の7人制ラグビー専門チーム「サムライセブン」の監督です。他にも引っ張りだこのお忙しいラグビー界のレジェンド吉田義人さんが、秋田に1ヶ月に10日間ぐらい秋田工業高校のラグビー部に指導に訪れているなんて、すごーいことです。教わった方たちは、人間としても大きく成長すること間違いなしです。まもなく、ラグビーワールドカップ2023フランス大会が開催します。スポーツ大好きなMichikoは、益々ラグビーも好きになりそうです。

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