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2024年3月10日

「二科会写真部会員 秋田支部」所属で「秋田読売写真クラブ」の柴田ミツさん

この日、心の花・東海林大心社長が紹介してくださったのは、「二科会写真部会員 秋田支部」所属で「秋田読売写真クラブ」の柴田ミツさんです。

スタジオ①

たくさんの写真を持って来て頂いたのですが、どれも個性的でびっくり!今まで見たことがない作品ばかり!

写真③

カメラで多重撮影したり、小さな種をドアップで撮ってみたり、千秋公園のお堀の水の中に落ちた花びらの中に模様がついていたり、人が気が付かない撮り方をして、前へ前へと進んでいる女性カメラマンです。

写真⑤写真④

特に色が美しく、風景も人も独特な感性で撮っているのです。

写真①写真②

お年が米寿って聞いて、「うそでしょう!」お話は次々と出てくるし、プライベートでも娘さんのいるアメリカのロサンゼルスやベルギーには、たくさんの荷物をもって、二日がかりで飛行機に乗って一人で行って来た時のことも話してくださいました。

スタジオ②

これからしたい事をお聞きすると「イギリスのロンドンには孫がいるので行ってみたい」と…。柴田ミツさんには、全国に写真仲間がたくさんいらっしゃいます。同じ趣味を持つ方たちとの時間は、柴田さんにとってかけがえのないものになっています。それにしても柴田さんは、お喋り上手。Michiko以上に口から生まれたような方でした。行動力にもあっぱれです。

スタジオ③

2024年3月3日

元豪風・押尾川親方が大好きで応援し続けている柏木茂弥さん!

この日のゲストは、男鹿にお住まいでスポーツライターの柏木茂弥さんです。学生時代はラグビーをしていたという柏木さん。でもスポーツは何でも好き。特に相撲・プロレス・バスケットは大好きとおっしゃる柏木さん。

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元豪風、現・押尾川親方が秋田に帰って来たときに、親方が応援している方たちと一緒に必ず食事会をひらくのですが、その会場でいつもニコニコ顔で出席している柏木さん。シニアの方がほとんどの会で一人だけ若いので目立っているのですが、毎回柏木さんは、自分で手に入れた押尾川部屋や親方のグッツにサインをしてもらって嬉しそうにしているのでこの人はどんな方なのか気になって、今回スタジオにおいで頂きました。

画像⑤

年齢は31歳。仕事がお休みの日には、スポーツを見にあちこち出かけている方です。相撲に関しては、豪風の断髪式ではハサミを入れる儀式にも参加してましたし、あのお相撲さんは、なんていう名前だったっけ?などと聞くと、すぐ、相撲の専門誌を持って来てくれたり、詳しく教えてあげたりしています。(専門誌は興味のあるスポーツのほとんどを持っているのです。)

画像②

両国国技館にはいつも行っているので、相撲関係者にはよく知られている方だったのです。
どうして相撲が好きになったのかお聞きしたら、自分は、おじいさんおばあさんっこ。子供の頃、両親は共働きだったので茂弥さんは、おじいさんおばあさんといつも一緒だったので自然に大相撲が始まると、テレビを見て好きになったというのです。

しかも、誰よりも詳しいのです。お給料は、ほとんどスポーツ関係に使っているのです。番組では、いかに押尾川親方が素晴らしい方なのか、熱く語ってくださいました。今場所で、押尾川部屋の風(かぜ)賢(けん)央(おう)が幕下優勝しましたが、柏木さん嬉しかったでしょうね。

相撲の話でいっぱいで、プロレスの話はほとんど聞けませんでしたが、リクエスト曲はジグソーのスカイハイにしてくれました。今度は、他のスポーツ・特にプロレスについても聞いてみたいです。スポーツに関するグッツや専門誌などは、自分の部屋に置いているそうですが、どうも大変な状態になっているそうですよ!

画像③画像④

いっそのこと、スポーツライターを本業にして頑張ってみたら?と言っちゃいたくなるMichikoでした。

2024年2月25日

20歳の頃、ABSテレビ「民謡おさらい道場」に出演した山内梅良さん76歳。今、大好きな歌う事・演ずる事をおもいっきりして輝きを増しています。

この日のゲストは、男鹿市の浮田産業輸送株式会社の浮田忠勝社長のご紹介で、秋田三弦研究会代表で秋田民謡旭北サークル会長であり「虹の企画」代表の山内梅良(やまうち うめよし)さん76歳です。ナビゲーターの香月彩さんの曲も気に入ったようで、嬉しそうでした。

画像①

山内梅良さんは1948年(昭和23年)1月1日生まれです。生まれも育ちも雄和です。実家が農家ということもあり、雄和地域には常に民謡が聞こえてくる環境です。小学校の学芸会で劇に出て、関心を持ちます。中学校では合唱クラブ。他にも自分で創作・演出・出演をするなど楽しんでいました。そのころ、特に好きだったのは、喜劇役者の藤山寛美さん(上方喜劇界を代表する喜劇俳優)。

中学校の教師に森寛太(秋田出身の俳優)の兄がいたので「師事できないか」と頼んだことも、中央の劇団に申し込みをしたこともあったそうですが、お父さんに見つかり断念した事があるそうです。

農業高校に進学してからは、すぐ演劇部に入り、一年から主役をします。県の演劇コンクールで高校初の優勝!卒業後は、勤労者演劇集団に所属するなど、山内さんがいかに舞台で演ずる事がお好きで才能があるのかがわかります。

民謡では20歳の頃、ABSテレビ「民謡おさらい道場」で、秋田草刈り唄を歌っています。
その後、25歳で地方選に出馬するため、唄も劇団も脱会。その後50年、仕事に専念し議員を辞めてから三味線・唄を再開したそうです。令和元年秋田長持ち唄全国大会で優勝‼その後、毎年のように色々な大会で優勝しています。

三味線は習い始めて15年。高橋竹山の津軽三味線の演奏に胸が震えたことがきっかけです、
昨年、雄和で生まれた方々がふる里雄和に帰り自慢の喉を披露した「ふる里雄和で唄う」というイベントを企画し雄和の人たちに喜ばれました。山内さんが、ふる里雄和の人たちへの恩返しのため企画したものです。

画像②

Michikoは司会のお手伝いをさせて頂いたのですが、あんなにたくさんのお客様が大喜びしたステージは経験ありません。さすが、三味線名人浅野梅若さんや民謡日本一の長谷川久子を輩出した雄和。今も2023年(令和5年10月23日)の「ふる里雄和で唄う」の反響は、続いています。山内梅良さんのすばらしい人柄、人間性を感じました。

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