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2023年10月29日

総社神社の大絵馬を描いている水墨画家・飯塚洋三さんは90歳

この日のゲストは、秋田市川尻にある総社神社の(干支の大絵馬)を14年も描いている水墨画家の飯塚洋三さんです。

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飯塚さんは1933年(昭和8年)横手市で生まれ育ちます。1952年(昭和27年)秋田相互銀行に入行し1974年(昭和49年)秋田相互銀行を退社したあと、丸果秋田県青果に入社し、75歳まで代表取締役など立派に勤め上げます。モットーは、「仕事は厳しく余暇は楽しく」です。子供の頃から絵を描くのが大好きだった洋三少年は、小学5年の掃除当番の時、校長室に自分の絵が飾られているのを発見し、それ以来、校長先生と絵を描くことが大好きになったそうです。

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1947年(昭和22年)横手中学校2年の時、「日本国憲法発布普及ポスター」を描き、秋田県知事賞を受賞。1952年(昭和27年)戦後初めての修学旅行で栞(しおり)を作ったのも楽しい思い出です。まだみんな貧しく食料も乏しい時代、修学旅行にはお米を持って行ったそうです。また、修学旅行で履く靴もなく、いつも足駄(あしだ)を履いていた洋三さんは、お父さんの革靴を履いて修学旅行に行ったんだそうですよ。

高校3年の時、美術の先生の「自然の美を愛せよ」という卒業記念の言葉が忘れられないとおっしゃっています。社会人27歳の時、父方・祖父母の出身地、湯沢の絵灯籠に挑戦。お父さんが持っていた絵が作品のヒントになりました。

80歳の時、これまで健康でいられたのは、奥様が心を込めて作ってくれる食事のおかげと感謝している洋三さんは、奥様に内緒で、朝のメニューの絵日記「朝ごはん」を描き始めます。この絵日記は、今も続けています。

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86歳の時、個展を開いた会場に自分のことを「ようちゃん」と呼んでくれた幼な友達が来てくれたようで、伝言が残されていて70年ぶりに名前を見て感激!そして90歳になった今も洋三さんは、総社神社の2024年の大絵馬を描いているのです。好きなことを生涯やり続けている素晴らしい人生ですね。

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2023年10月22日

秋田が大好きで、自らアピールして来てくれた4代目住みます芸人の「きり亭たん方」さん

ゲストは、男鹿市の浮田産業輸送株式会社社長・浮田忠勝さんのご紹介で、4代目秋田県住みます芸人「きり亭たん方」さん。由利本荘市在住の演歌歌手・香月彩さんに番組ナビゲーターとしてお手伝いして頂きました。

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きり亭たん方さんは月亭八斗時代、同じ吉本興業所属の落語家3代目の秋田県住みます芸人・桂三河さんと仲良しで、三河さんが秋田に居た時よく秋田に遊びに来ていたそうです。
秋田県内のほとんどの観光地に出かけたくさんの人達と出会いました。その人たちが優しく、(特に高齢の男性がとても優しく)自然の美しさと同時に、人の優しさに惹かれ、一気に秋田県住みます芸人になりたいと思いやって来たのです。

兵庫県芦屋市出身1980年8月9日生まれの43歳。身長178センチ。お顔がふっくらとしていて、えくぼがチャーミングなたん方さんは、年齢を聞かなければ20代にも見えます。
10年間サラリーマン生活をしていたそうですが、人々に笑いを届ける落語家の姿に感動し、2008年に落語家への道を志すことに。他の噺家に比べるとかなり遅いスタートです。

秋田の食べ物が口に合うそうで、特に米とラーメンが美味しすぎて、秋田に住んでからあっという間に??キロも増えたそうです。いつもカッコイイ髪型ですが、趣味は髪型の研究と、土鍋でご飯を炊くこと。珍しい趣味ですね。Michikoは、とにかくスポーツマン好き。たん方さんは、何かスポーツしていたのかお聞きしたかったのに、お喋りのテンポが速くあっという間の時間で聞くことが出来ませんでした。後で調べてみたら、なんと!水泳は赤ちゃんの頃からやっていたらしく、高校では水球部。兵庫県のベスト4に入ったことがあるそうです。

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きり亭たん方さんは、自分の自慢話を自分から言う事は絶対しないタイプ。関西人の落語家としては珍しいタイプです。あ~だから、秋田の人が好きなんだと思いました。だからこそ、益々、きり亭たん方さんを応援しなくっちゃ!とMichikoは思ったのです。

2023年10月15日

秋田の吉田類・利部浩さん

秋田の「吉田類」と呼ばれている利部 浩(かがぶ ひろし)さん56歳
ある食事会で、物静かでお料理とお酒をゆっくりと味わいながら楽しんでいる独特の雰囲気の方が気になっていたので、主催者の方に聞いてみましたらやはり、かなり個性的な方でした。

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年間およそ300日は居酒屋やフレンチ・イタリアン・焼肉・中華などのレストランで食事をしながら、そのお料理にあったお酒を楽しんでいる方でした。秋田市の川反は家みたいな感じとおっしゃっています。レビューサイトの食べログには「ひろし」という名前で出していて、かなり見られています。

秋田成幸産業株式会社の代表取締役としてバリバリお仕事をした後、どこかのお店でお料理とお酒を楽しんでいます。夕方、街の灯りが心を癒してくれるのだそうです。利部さんによると、秋田の飲食店はかなりレベルが高くグルメの方も多いそうです。

利部さんは18歳のころ北京に留学したことがあるそうです。それまで中華料理は嫌いだったそうですが、本場の北京料理は、日本で食べる料理と違ってサラッとしていて美味しくてびっくりしたそうです。それからというもの、食べ物に興味を持ち大人になってからはお酒にも興味を持ったのだそうです。

お話を聞いて、つい「そんなに食べて飲んで、お体大丈夫ですか?」って聞いてしまったのですが、「自分でも不思議に思っているんだけれど、ちょっと前に受けた健康診断では異常なしだった。絶対に何かにひっかかると思ったんだけど」とおっしゃったので、「何かスポーツでもしてらっしゃいますか?」と伺ったら。「全員参加の草野球チームのリーグ戦を15年前からやっている」との答え。やっぱり飲んだり食べたりだけじゃなく体を使っている方だったんですね。いつもダンディでお腹も出てないし、飲み方、食べ方をよくわかっている方なんだと思いました。

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最後に「一番好きな食べ物は何ですか?」ってお聞きしたら、「もし死ぬ前に何が食べたいか?と聞かれたら焼きおにぎり」と答えるそうです。そして、「秋田はこれだけ美味しいものがあるところ。秋田の飲食店を盛り上げたいのでこれからも続けていきたい」と、心も秋田愛に溢れる方でした。

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