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2023年6月25日

毎日が楽しいと語る藤田斉さん。

6月25日のゲストは、男鹿市の浮田産業輸送株式会社社長・浮田忠勝さんからのご紹介で秋田市手形山崎の「やきとり・おでん 晩酌や」の店主 藤田斉(せい)さんです。ナビゲーターとして浮田産業のテレビCMに出演している香月彩さんにもお手伝いして頂きました。

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藤田斉さんは昭和38年9月2日生まれの59歳。まもなく還暦を迎えますが、スマートで若々しい方です。お話を聞けば聞くほど、いろんな経歴を持つ方で驚きました。

秋田県立秋田南高等学校を卒業後、語学教育で有名な獨協大学に入学。卒業後、昭和62年4月ホテルニューアカオに入社。予約やフロントに従事。平成2年9月にはホテル紫苑に入社。フロントや営業に従事。平成6年4月には秋田中央交通に入社。JAL秋田空港所・貸切バスセンター・管理部に従事。平成17年11月には、こまち健康ランドに入社。支配人として従事。平成20年7月には、桜ゴルフに入社。営業部長として従事。令和3年4月にはヒスイ・個人事業主として開業しました。

そして今年!
令和5年の3月1日には秋田市手形山崎に「やきとり・おでん 晩酌や」をオープンしました。ホテルマンを経験したあと30歳の時に秋田に戻り、40代の頃から自分の住む地域でやきとり屋を開きたいと思っていたそうです。なぜかというと、藤田さんの家の地域には1人暮らしの方が多いことから、皆さんが集える場所があればストレス発散になるのではないかと思ったからです。お店の中は昭和レトロの雰囲気で、和やかな田舎の実家に帰ってきたような雰囲気なんですって。昭和時代に流行っていたジーンズやベルトなど懐かしいものが一杯置かれているらしいので、ひとりで行ってもトークの得意なマスター?藤田さんが、そのような物の話題からお一人様同士を繋いでくれてすぐ仲良しになれる場所のようですよ。

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英語・フランス語など、語学も得意な藤田さんのお店には高齢者だけでなく、秋田大学で学ぶウクライナからの留学生なども訪れているんですって。外国の方も安心して来られるお店なんですね。開店時間の午後4時には年配者、千秋公園を散歩したあと必ず寄ってくださるご夫婦もいるんだそうです。6時ごろからは会社帰りの方や学生さんが訪れ、用意したやきとりが無くなってしまうこともあるそうですがお店は10時・閉店なんだそうです。藤田さんは毎日、朝の9時ごろから開店時間ぎりぎりまで、全て一人で仕込みをしているそうです。だからリーズナブルな価格で提供できるんだと思いました。獨協大学で学んだ語学、ホテルマンとしてのお客様への接し方、いろいろな場所で経験したこと全てが活かされていて今、素敵な生き方をしてらっしゃいますね。Michikoも近いうちに行ってみたいなあ!

2023年6月18日

吉田義人さん 続編

ラグビー界のレジェンド吉田義人さんは、お姉さんが大好きな少年でした。
秋田工業高校のラグビー部1年生からレギュラー選手に選ばれ、全国大会で優勝したにもかかわらず家出したことがあるというお話を聞いた時、「えー!どうして?」って思いました。理由は、レギュラー選手は練習前の掃除などしなくていいことになっていて、あの楽しかった友人たちと一緒に行動出来ないこと。2年生や3年生でもレギュラー選手になれなくても頑張っている先輩たちがいるなかで…。いろいろ悩み、生きていること自体が辛くなったのだそうです。

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学校に行きたくないという思いが強くなり、ある冬の日、男鹿線に乗って秋田市内の映画館に行き、昼ごろから夕方まで同じ映画を見て過ごし、その後何事もなかったように家に帰ったら2日目には簡単に見つかってしまったそうです。学校から家に「義人君が学校に来ていないが、どうしたのか?」と電話がありバレてしまったのです。保健室のさとう えいこ先生や担任の中村先生にも見つかり、「いったい何があったんだ!」と先生たちに聞かれ、「とにかく今は、北海道の札幌にいる姉に会いたい。」と話したところ、「お姉さんに会って来なさい。」と、さとう えいこ先生が汽車賃を渡してくれて、その日の最終列車に乗って北海道に向かったのです。

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眠れなくて青函連絡船の甲板に出たら、「ここで死ねるんだなあ」って思っていたけど、家族や先生たちが目に浮かび、今はとにかく札幌の姉のところに行こうと函館から札幌に向かう汽車に乗ったところ、ハッとする情景を目にするのです。それは、大きな重そうな荷物を背負っている80歳ぐらいのおばあさんの顔を見ると、目が爛々と輝いていて素晴らしい。
「俺はなんて小さい人間なんだろう!」って思ったのです。
無事に、当時札幌で働いていたお姉さんと会うことができ、そこで1週間ぐらいいたそうですが、ある日、お姉さんはケーキを買ってきてくれたそうです。その日は2月16日。義人さんの誕生日だったのです。お姉さんは、可愛い弟・義人さんの誕生日をちゃんとわかっていたのですね。多分、義人さんはそれどころではなく、自分の誕生日も忘れていたのでしょう。その時のことを吉田さんは、はっきりと今でも覚えているのです。

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秋田に戻り学校に行ったら、「また一緒にラグビーやろう」ってみんなが迎えてくれて、それからまた頑張って3年連続で花園に行き全国制覇したのです。
この出来事があったから、絆がもっと強く築き上げられたのかも知れません。吉田義人さんのラグビー人生は、幼い頃の友人たちとラグビーをして楽しくって楽しくって毎日が輝いていた時代が土台になっているんですね。今、自分から秋田のために後輩たちへラグビー指導に来ているのは、自分のために支えてくれた友人や先生たち、お世話になった沢山の方々への恩返しなんですね。

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現在、吉田義人さんは一般社団法人・日本スポーツ教育アカデミー理事長であり、10年前に立ち上げた日本初の7人制ラグビー専門チーム「サムライセブン」の監督です。他にも引っ張りだこのお忙しいラグビー界のレジェンド吉田義人さんが、秋田に1ヶ月に10日間ぐらい秋田工業高校のラグビー部に指導に訪れているなんて、すごーいことです。教わった方たちは、人間としても大きく成長すること間違いなしです。まもなく、ラグビーワールドカップ2023フランス大会が開催します。スポーツ大好きなMichikoは、益々ラグビーも好きになりそうです。

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2023年6月11日

漁師の船木千帆さんとお父さんの船木和久さんは、羨ましいほど仲の良い父子でした。

心の花・東海林大心社長がこの日、紹介してくださったゲストは、『釣りショップ海風』の船木和久(かずひさ)さん47歳と次女で漁師の船木千帆(ちほ)さん25歳です。

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大心社長は、秋田魁新報社が発行しているフリーペーパー「マリ・マリ」の表紙に掲載されていた漁師の船木千帆さんの素敵な姿を見て、千帆さんと会ってみたいと思い、お父さんの経営する男鹿市船川港にある「釣りショップ海風(かいふう)」に赴き出演依頼をされたということです。その時にお土産に頂いたという魚のフライは今まで食べた中で、本当に一番おいしかったそうです。大心社長は家に帰り奥様とお子さん達に食べさせたら、みんなが感動。そのフライは骨がちゃんと処理してあって、パン粉も手作りでフワッとした感触。全部千帆さんが小さな子供でも高齢者でも、安心して美味しく食べられるように加工して消費者に届けているんです。

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この日は「まめだすとーく」のスタッフにも魚・ワカメ・ギバサ・ハタハタ寿司などたくさん持って来てくださいました。早速夕食に頂いたら、大心社長と同じでその美味しさに感動したんです。
千帆さんは3姉妹の真ん中、次女です。子供の頃から船に乗せてもらい、ものごころついた頃から男鹿の海が大好きだったそうですよ。お父さんのことも格好よくって優しくって大好きだったそうです。

秋田県立男鹿海洋高校に進学、水産科で学び一級船舶免許を取得し生徒会長も務めたそうです。卒業後は秋田市の調理師学校で学び、フグの調理師免許を取得。千帆さんって、大人しくて穏やかそうな雰囲気があるんですが、実はかなりのがんばり屋さんで、勉強するのが大好きなしっかりしたお嬢さんなんですね。お父さんは、お店を継ぐことや漁師を娘さん達に一度も奨めたことはないそうです。千帆さんは幼い頃と同じように、優しくってカッコイイお父さんが大好きと、はっきりおっしゃいました。

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聞いて驚いたことがもうひとつ。千帆さんのおばあさんも現役で漁師をなさっているそうです。大心社長は出演依頼に伺った時、おばあさんがお店にいらして、とってもいい雰囲気を感じて帰って来たそうですが、私もオンエアが終わった後、お店にお礼に伺ったときお会いしてびっくり!おそらく、Michikoと同じようなお歳だとは思いますが、美しくってお若い!元気!明るくてハキハキしている方。素敵です。

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家族みんなが同じ方向にむかって生きている船木家。男鹿の魚介類を使ったレストランも将来やってみたいという夢があるようですが、きっと実現出来ると思います。だって千帆さんは自分で決めた目標をちゃんとクリアしている人だから。千帆さんが生き生きと輝いているのは、こんな素敵な家族のなかで育ったからなんですね。

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