ニュース
テレビ
ラジオ
イベント・映画
アナウンサー
番組表
動画配信
ブログ
ABSあぷり
SNS

カテゴリ「ブログ」のアーカイブ

2022年4月24日

1997年(平成9年)3月22日秋田新幹線こまちが開業しました。あれから25年!

秋田新幹線こまち開業25周年を迎え、当時のJR東日本秋田支社森川賀之(よしゆき)営業部長においで頂きました。

森川賀之さん

森川さんは昭和18年生まれの78歳。秋田商業高校を卒業後、昭和38年に国鉄に入社。昭和53年には仕事ぶりが評価され、東大卒が3割という超エリート、キャリア組の方たちが多い本社の経理局に秋田から初めて異動となりました。
昭和61年には、国鉄から民営化になる1年前には本社JR東日本の準備室に抜擢され手腕を発揮。
JRとなってからは、平成3年に横手駅長。平成7年にはJR東日本秋田支社の営業部長に抜擢され秋田新幹線の開業における全ての企画に携わりました。
森川さんは本社で出会った上司にも恵まれ、「私は本社で成長させてもらった。」とおっしゃっています。
こまちの開業イベントには驚くほどたくさんの人が秋田駅に訪れ森川さんたちが考案した企画は大成功となりました。
今までに他の新幹線開業のときには無かったことをやり遂げ成功させたのです。

たとえば、開業式には東京ディズニーランドからミッキーとミニーがお祝いに来てくれました。それまで、ミッキーとミニーは絶対にディズニーランドの外に出てくることはなかったのです。当時、東京ディズニーランドは
旅行に行きたい場所のアンケート調査でトップになるほど、人気でした。

そして嬉しいことに開業式やイベントの生中継を、地元でながく愛されている事を理由にABS秋田放送を選んでくださいました。さらに嬉しい事に、前夜祭から出発式などのメインの司会・進行役に私、さとうみちこを選んでくださいました。(それまでは、全国に知られている有名な東京のアナウンサーが担当されていたようです。)
出発式などで、もしも何かトラブルが起きた時に合図が出るまで貴方だったら何か喋って時間を埋めてくれるだろう!
これには、森川さんの秋田を愛する気持ちと、思いっきりの良さが感じられました。
イベントには秋田出身の歌手、岩本公水さんも起用され華を添えてくださいました。(1997年NHK新人歌謡コンテストでグランプリ・紅白歌合戦に初出場)
男鹿で世界中の鬼たちを集合させた鬼フェスティバルも驚きでした。
とにかく、森川さんを中心とするJR東日本秋田支社のチームワークの良さには驚きました。
それは、意外なことに国鉄時代からやっていた麻雀(マージャン)のおかげもあるのではないかと思うのです。
森川さんが尊敬する本社でお世話になった上司の方から学んだことが大きかったようです。
当時は日本国中、麻雀ブームで職場の休み時間や仕事が終わってから、麻雀をよく楽しんでいたそうです。
でも、その上司の方は、仕事ができる人しか麻雀のメンバーにいれてくれなかったそうです。
麻雀は頭をよく使い、全体を見ながら、想像力もつくゲーム。
しかもその上司は超エリートのキャリア組ではなかったのに、国鉄に入ってから公認会計士の資格をとった頑張り屋さん。ピアノやバイオリンもできる人。そんな上司と出会い、森川さんは高卒でもご自分の努力で堂々と超エリート職員に負けない位がんばってこられたのです。
森川さんは今でも麻雀だけは楽しんで続けているそうですよ。
「自分が今やりたい事を思いついた時、実行できそうにない事でも、そのやりたいことを人前で話すこと。話してしまえば、自分にプレッシャーをかけることで、頑張れる。」
森川さんは番組の最後にこんなアドバイスをくださいました。
こまち開業イベントで驚くようなアイディアで成功させた企画が、まだたーくさんありますので、時期をみて
またおいで頂きお話を伺いたいと思います。

森川賀之さん

大先輩の森川さんからいただいた、ひとつひとつの言葉を大切に、これからもMichikoなりに頑張って生きていこうと
思いました。

森川賀之さん

2022年4月17日

佐々木和貴先生はこの春から秋田大学教育文化学部名誉教授ですよ。

4月17日のゲストは、「花咲けねんりんクラブ」としてスタートした1995年(平成7年)6月から2020年の3月まで、およそ四半世紀(25年間)にわたり番組のパーソナリティとして務めて頂きました秋田大学教育文化学部名誉教授・佐々木和貴先生です。ABSラジオをお聴きの方々から、佐々木先生の心に響くソフトで優しい声が聴きたいというご要望にお応えしておいで頂きました。

佐々木和貴さん

佐々木先生は今年の3月31日に秋田大学を定年退職し、4月からは秋田大学教育文化学部名誉教授として、非常勤で週に2回は教壇に立ち授業を受け持っています。久しぶりにお会いして最初に思ったことは、佐々木先生なんだか若々しくなったみたい。ジーンズ姿が良くお似合いで体型も変わらず、声も美しく響き、相変わらずの優しい笑顔でした。

リクエスト曲は、中島みゆきの『時代』。佐々木先生は北海道大学出身で、すぐそばに中島みゆきが在学していた藤女子大学があり、中島みゆきの楽曲のなかに「店の名はライフ」というのがあるのですが、『ライフ』というお店に佐々木先生も良く行っていたことを話してくれました。きっと大学生の和貴くんは今日のようなジーンズ姿でギターも楽しんでいたんだろうなと思いました。

佐々木和貴さん

最近の学生たちの様子をお聴きしましたら、新型コロナの影響で昨年あたりから学生たちの雰囲気がかなり変わってきたことを非常に心配しておられました。大学生になったのに、大学の先輩や同期生とも直接会える機会が少なく、授業はほとんどリモート会議ソフトのZoomで受けなければならず、その結果、高校生のまま大学の授業をうけているようなものだと…。このまま続いたら、将来的にコロナ世代と呼ばれ社会人になった時、まわりとどう接していいかわからなくなるのではないかということです。

コロナウイルスの話から、佐々木先生は専門であるイギリス文学・シェークスピアのお話をして下さいました。シェークスピアが芝居を書いていた16世紀末から17世紀初頭にかけてロンドンはペストに襲われていたということ。当時ロンドンの人口はおよそ20万人。そのうち4万人がペストという疫病で亡くなったこと。劇場は閉鎖され10年間でロンドンの劇場で公演できたのは、たったの9カ月。そんななかでシェークスピアは私たちが知っている名作「ロミオとジュリエット」など沢山の名作を書き上げた、ということ…。
30分という短い時間の中で、今回も佐々木先生はたくさんのことを私たちに教えてくださいました。もちろん又、佐々木先生には時々おいで頂くお願いをしておきましたよ。

佐々木和貴さん

2022年4月10日

思いつくと、即行動!動きが早い下総晴美さん今回も驚きっぱなしでした。

4月10日のゲストは、心の花の東海林大心社長のご紹介、秋田県美容組合西支部長モアビューティ・シモフサのオーナー下総晴美(しもふさ はるみ)さん。先月に続いての出演です。

下総晴美さん

3月13日の放送では―、今は美容界で輝いている下総さんですが、実はバスケットボールとボーリングで素晴らしい人生を歩んできた方だったのです。そのお話だけで驚くほどのスポーツウーマンであったことを知り話が盛り上がり、肝心な美容師さんになってからのことはほとんど聞くことができませんでした。その続きのお話を伺いたくスタジオに再びおいで頂きました。

下総晴美さん

プロボーラーを目指し頑張っていた晴美さんですが、お父様からの「ボーリングは秋田でも出来る。そろそろ秋田に帰ってほしい」との言葉を受け、三姉妹の一番上、長女だった晴美さんは秋田に帰ることを決断。秋田のボーリング場に勤めたときには、ボーリングブームも下火になってきたことを感じ、24歳の時、他に何かしようと考え始めたとき、電話帳の専門学校のページを見つけ、その何かを探すことに。その時、仕事は何でもいいと思っていたそうです。

最初に見つけたのがクッキングスクール。妹たちと「おにぎり屋さん」をやりたいと思ったこともある晴美さんでしたが、なかなか電話をかけても繋がらず、次に見つけたのが美容学校。ボーリング場で日中、事務の仕事をしながら夜間の美容学校で勉強する生活をしていましたが、時代の流れで途中夜間が廃止となり、予定より早く卒業できたそうです。

秋田市広小路のセントラルデパートの中に入っていた、当時とても忙しく人気店だった
「コマバ美容室」でインターン(修業)をさせて頂きその間、着付け教室にも通い美容師の資格を得るための国家試験に合格、同時に着付け師の免許も取得。晴美さんはインターンから5年間、26歳から31歳まで「コマバ美容室」にお世話になり、先生や先輩たちにとても感謝しています。晴美さんの新しい人生の土台ができ、ようやく将来の目標が見つかったのです。

29歳で結婚、年子の男の子を出産し1カ月がたち、そろそろ仕事に復帰しようかと思っていた時「美容室譲ります。即営業可」という新聞の広告欄を見つけ吸い込まれるように目に入り、後先考えず即申し込むも、経営についてはまるで無知。銀行取引のことや、土地取引のことなどいろいろ大変だったそうです。(東海林大心社長はこの時の話に何度も頷いて熱心に聴いていました。多分、ご自分の開業した時のことを思い出したのではないかと思います)

下総晴美さん ノート

Michikoと同じ名前の「さとうみちこ」という金融関係にお勤めのお客様などにアドバイスして頂き、みごとクリア。3.5坪の小さいお店でしたが、32歳で自分の店を持つことができたそうです。この後も、現在に至るまで時代にあわせ順調に美容室を経営。今のお店で7店舗目、多いときで3店舗同時にお店を構えていたこともあったそうですよ。

平成2年ディーラーさん主催の着付け教室に通い、畠山芳子先生と出会うことに。
この出会いが、下総晴美さんの人生を変えたそうです。
平成3年の美容選手権振袖着付け部門で優勝。平成4年5年も連覇。鷹巣の畠山先生のところまでモデルさんを連れて練習に通い、平成15年全国入賞するまで何度も挑戦したそうです。

下総晴美さん

美容師としても、着付け師としてもトップレベルになった晴美さんは、美容師の山本久博さんの呼びかけで、2018年11月にはロシアのウラジオストクで開かれたジャパンフェスティバルへの参加を積極的に申し出ました。秋田県内の美容師さん着付け師さん達と一緒に秋田で昭和初期まで行われていた「花嫁道中」を披露しました。花嫁役は秋田の女性でしたが、花婿役は露日協会の青年が協力してくれました。総勢40名が着物姿で参加した
ジャパンフェスティバル、ロシアの方たちは初めて見る「花嫁道中」にロシアの方たちは大絶賛。大変喜んでくれました。今回のウクライナとロシアで大変な事がおきていますが、それだけに、あの時交流した優しかったロシアの方たち、どうしていらっしゃるのか心を痛めていらっしゃいます。

美容歴40年の下総晴美さんは、ご自分のこれまでの人生をこんな風におっしゃっています。
「石橋は叩いて渡らない~私流です。私は走って渡っていました。振り返ってみると穴だらけだったと思います。目標があるとそれに向かって努力はできた。それが穴の修復だったと思う。穴の修復とスタッフの10歳になる双子の娘さんの成人式の予約が入っているので、これから10年は小走りで頑張るつもりです。」と。

下総晴美さん

下総晴美さん!10年と言わず、健康寿命100才の時代です。末永く、美容の世界でご活躍ください。昭和25年生まれは、若い人と呼ばれている美容界です。

掲載されている記事・写真等すべての無断転載を禁じます。Copyright © Akita Broadcasting System. All Rights Reserved