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2021年2月7日

民謡歌手の進藤義声さんの名前は芸名で、本名は進藤義雄さんでした。

2月7日のゲストは、秋田県民謡協会相談役であり義声会の主宰者・進藤義声さん(86才)。約40年前からの知り合いなのに、先日、秋田魁新報に掲載された「時代を語る」のシリーズを読むまで、知らなかったことが、たくさんあって驚き、改めて進藤さんにお聞きしたいと思って、スタジオにおいでいただきました。

進藤義声さん

進藤さんは、1934年、秋田市下北手の農家に生まれました。最初に出会ったころとほとんど変わらない風貌で、まずはお年を聞いて驚きました。お若い!下北手尋常高等小学校(現・下北手小学校)に入学したばかりの4月20日にお父さんが亡くなり、それからというもの、お母さんと大好きだったおばあさんの手伝いをしながら、一生懸命生きてきた子ども時代。歌は何でも大好きで、学芸会では独唱を任されたり、6年生の頃、盆踊りのステージで酒屋唄をうたったのが、初舞台だったそうです。

進藤義声さん

1950年、中学校を卒業してからは「家のために働かなくては!」と新聞配達のほかに、大工の手元の仕事をして働きました。戦後まもなくで、カタカナや英語の文字をよく見かけ、英語に関心をもつようになった進藤さんは、勉強したくて、偶然見かけた定時制の募集チラシをみて受験。当時の秋田県立秋田南高校(現・秋田高校)の定時制課程に入学したのです。自分自身で働いたお金で高校に入ったのに、「校章のついたボタンを取りなさい。貧乏人が入るような学校ではない!」などと、嫌がらせを受けたこともあるようですよ。

収録風景

悔しいことは、たくさんあったはずなのに顔には出さず、いつも穏やかで真面目な進藤さん。その人柄か、相談にのってくれたり励ましてくれた方もいらっしゃいました。大工さんの手元をしていたときの棟梁さんや、民謡歌手になるきっかけを作ってくれた先生たちがいました。師匠の進藤勝太郎さん、秋元政吉さん、音楽の小田島樹人先生。国語の岩谷嘉一先生など、自分の歌声を褒めてくれた人たちのことは忘れていません。

民謡番組

そして20代になってから、お世話になり忘れられない人としてあげたのが、尺八奏者の鎌田筧水さん。筧水さんは、ABS秋田放送がテレビ放送を始めた昭和30年代半ばごろから、民謡番組の専属伴奏者になっていて、進藤さんは筧水さんから誘われて民謡番組に出演するようになったそうです。永沢千恵子さんからは太鼓を指導してもらったそうです。

民謡番組

1966年、29才のとき、東京の蔵前国技館で開かれた全国郷土民謡協会主催の全国大会で「秋田追分」を唄い、優勝したのも、筧水さんが出場するように勧めてくれたから。筧水さんとの出会いがなかったら、今の自分はいない!ABS秋田放送は、自分を育ててくれた、という有り難いお言葉もいただきました。

2ショット

86才になった今も、公民館4か所で民謡を教えていらっしゃいます。進藤さんのいつも穏やかで温和なお人柄に、学ぶべきことがたくさんあります。今回は、子ども時代から若い時代のお話を中心にお聞きしましたが、まだまだ聞きたいことがあります。長生きして、またスタジオでお話を聞かせていただきたいです。

2021年1月31日

現役漁師の細川忠夫さんは歌もお上手でした。

1月31日は、男鹿半島の入道崎観光ドライブイン、網元海鮮料理「龍宮館」3代目の漁師・細川忠夫さん(75才)においでいただきました。細川さんを知ったのは、昨年の9月。新型コロナウイルスの対策をしながら、男鹿半島の素晴らしい景色と美味しい空気、そして、なんてったって龍宮館の驚くほど新鮮で美味しい魚介類のお料理に感動し、声をかけたのがきっかけでした。

細川忠夫さん

いつも、ABSラジオを聞いてくださっているということで、うれしくて色々おしゃべりしているうちに、秋田生まれの私たちの世代でも今まで知らなかったお話が、たくさん出てきました。もっと聞きたいと思い、漁に出ていない今の時期においでいただいたのです。一番驚いたのは、細川さんが4才から10才ぐらいまで、現在の龍宮館がある場所の裏山周辺に、米軍キャンプがあったこと。すぐ前には滑走路があって飛行機が行き来していたこと。米軍の兵隊さんたちから、それまで食べたことがなかったチョコレートやガムなどをもらい、クリスマスにはサンタクロースの格好をした兵隊さんから大きな袋のなかに入っている本やおもちゃのプレゼントをもらい、うれしくてうれしくて、あの時の思いは今でも忘れられないといいます。

収録風景

戦後すぐ昭和24年、細川さんのおじいさまが始めたお店には、ジュースや缶ビールなども売っていたようです。西部劇に出てくるようなバーや、踊れるお店などもあったようですよ。戦争中、たいへん辛い体験をお持ちの方が多いと思いますが、細川少年には、米軍の方たちの優しさが強く、残っているようです。なかには、子供好きな方が、父親のいない子を養子にして、アメリカに連れて帰ったそうです。

細川忠夫さん

やっぱり、年上の方にはお元気なうちに、いろんな事を聞いておくべきと思いました。人間は、どこの国の人も同じ、みんな仲良く平和に過ごせたらいいですね。細川忠夫さんには、まだお聞きしたいことがたくさんあるので、漁に出られるようになる春にまた、龍宮館で新鮮な魚介料理を頂きながらお話の続きをお聞きしたいと思います。番組中、突然のお願いに、春日八郎さんの「長崎の人」を歌ってくれました。堂々とした歌いっぷりに、またまた感動!!ありがとうございました。

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