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2021年10月3日

アテネパラリンピック金メダリスト高橋勇市選手

三菱商事株式会社所属のアテネパラリンピック金メダリスト(全盲の陸上選手)高橋勇市選手の原点は、故郷・横手にあったのです。
10月3日のゲストは、三菱商事株式会社所属2004年アテネパラリンピック・マラソン(視覚障害)の金メダリストであり、横手市スポーツ親善大使でもいらっしゃる髙橋勇市(たかはし ゆういち)選手56歳です。まずは、現在の勇市選手のお顔と伴走をしてくれている奥様と一緒にランニングしている写真をご覧ください。
奥様へのプロポーズの言葉は、「人生の伴走もしてくれませんか?」ですって!

髙橋勇市

髙橋勇市

髙橋勇市選手は、1965年6月12日に横手市で誕生しました。黒川小学校3年生の時、小学校創立100周年記念で当時の校長先生が校庭に1周およそ1キロのランニングコースを作ってくれ、当時走るのが嫌いだった勇市少年でしたが毎日、休み時間に走って6年生の時に運動会で1等賞。生まれて初めて優勝したことと、ランニングコースを走り続けたことで「継続は力なり」と、校長先生がとても褒めてくれたことが自信となり、中学校では陸上部で活躍。勇市選手は、小・中学時代の経験が今の自分を作っているとおっしゃっています。

勇市さんは、農家の長男だったこともあり、大曲農業高校に進学。横手から大曲まで片道およそ15キロの道を毎日、自転車で通学していたそうです。これには、本当に驚きました。
しかし、だんだん視力が悪くなってきたのを感じていたそうですが、ご両親には心配をかけたくないと内緒にしていたそうです。2年生の時に、保健の先生が眼科医に診てもらった方がいいと進めてくれ、両親といっしょに病院に・・・。その時診断されたのが、「白点状網膜症。二十歳の頃には失明するでしょう。」と告げられ大ショック。現実から逃げ出したいと思ったそうです。その後は、盲学校でマッサージの免許・資格をとり仕事をするようになりました。

30代になり仕事をしている時にラジオで「アトランタパラリンピックで日本人選手がマラソンで金メダルをとった」というニュースを聴き、同時に小学校の時に走っていた自分の姿が頭に浮かび、6年生の時に1等賞とったときの感動をもう一度味わってみたい。目の見えない人同士の大会だったら、もしかしたら頑張ればできるかもしれない!と思い、35歳のときから練習をはじめたのだそうです。
2004年アテネパラリンピックの金メダルだけではなく、国際盲人マラソンかすみがうら大会では当時の世界最高記録で優勝、2006年世界陸上競技選手権オランダ大会金メダルなど、ここに書ききれないほどのメダルを受賞しています。2018年頃からはトライアスロンにも挑戦。金メダルも受賞しています。勇市選手の挑戦はまだまだ続いています。パリパラリンピックに向けて頑張っています。今度はどんな競技に挑戦するのか・・・楽しみです。

リクエスト曲は、10歳の時に初めて買ってもらったドーナツ盤のレコード。桜田淳子の「揺れてる私」でした。今も大事に持っているそうです。今度、帰った時にはお母さんの手作り料理を食べたいそうです。(納豆汁・ぎばさ・ぼだっこ・だだみ)ぜーんぶ秋田の味ですね。
子ども時代、Michikoが担当していた「サンデー電話リクエスト曲」を聴いていてくれた勇市選手。ますますキラキラ輝いている勇市選手。あまりにも大きく立派に成長して、人生の伴走者もでき幸せそうで嬉しくって興奮気味のMichikoでした。新型コロナがもう少し落ち着いたら、三菱商事株式会社所属の高橋勇市選手の講演のイベント、秋田県内でも企画してほしいなあ・・・みんながきっと元気になると思うのです。

2021年9月26日

朝鮮半島を中心に東アジア地域の近現代文化について研究している畑山康幸さん

畑山康幸

9月26日のゲストは、新屋温泉の高橋大和社長からのご紹介で、朝鮮半島を中心に東アジア地域の近現代文化について研究、評論活動をしている畑山康幸(はたやまやすゆき)さん72歳においで頂きました。畑山さんは、36年前NHKが初めて北朝鮮の平壌(ピョンヤン)から衛星中継した時、リポートした方です。秋田市土崎のご出身で、大和社長の高校時代の同級生です。中学生の頃から、ラジオで聞いた朝鮮語や音楽に興味を持っていたことは3年前にお話を伺っていました。72歳になった今、畑山さんはどんな研究をされているのか気になっていました。

畑山康幸

この日はスタジオに勝平得之(かつひらとくし)の版画「いろり」を持って来てくださいました。勝平得之が亡くなってからちょうど50年にあたる今年、故郷・秋田を愛する畑山さんは勝平得之の研究をしていたのです。
勝平得之(1904-1971)は、秋田で生まれ生涯を秋田で過ごした木版画家です。作品のテーマも、ほとんど当時の秋田の人たちの日常生活や伝統行事などでした。勝平得之が友人などに送った手紙を集めて、その内容から勝平得之がどんな思いで版画を創作していたのか分析し論文や本にするとのこと。手紙はすでに50通以上見つけたそうですよ。その内容から「勝平得之は秋田を非常に愛していて、誠実で生真面目な生き方をしていた方のようだ。」と・・まだまだ研究は続いています。

畑山康幸

秋田生まれのMichikoは、とても興味深い嬉しいお話を沢山お聞きしました。畑山さんは、朝鮮半島を中心に東アジアの文化、歴史、政治問題など幅広い知識をお持ちですので、今度は私が好きな音楽についてもお聞きしたいと思います。NHK在職中には、番組で北朝鮮のヒット曲を特集したこともあるそうです。李香蘭の歌など流しながら、いろいろなことをお聞きしたいと思っています。楽しみだわ・・・・・!

2021年9月19日

英国RAD公認エンジェルロイヤルバレエスタジオ講師・永井玲さん

9月19日のゲストは、身長173センチ・まるでリカちゃん人形が、人間に変身したような素晴らしい容姿に恵まれたバレエ教師の永井玲さん

永井玲さん

玲さんは秋田市にあるエンジェルロイヤルバレエスタジオのバレエ教師です。
小学校の4年生の時から、高校卒業までエンジェルロイヤルバレエスタジオの片谷沙和子先生の元でバレエを学び、ハンガリー国立ダンス大学・教育学部に留学。卒業後は、ハンガリー国立ダンス大学で、日本人として初めてバレエクラスの担任を務めました。さらに玲さんは、プログレッシングバレエテクニック公認指導者の資格をとり優秀な指導者として認められました。

永井玲さん

昨年からは、バレエの素晴らしさ、指導者として生きるきっかけを作ってくれた恩師・片谷沙和子先生の主宰するエンジェルロイヤルバレエスタジオの講師として活動しています。玲さんが尊敬する沙和子先生は3才からバレエ教室に通い高校卒業後、昭和音楽短期大学バレエコースに進学、在学中にRAD(ロイヤルアカデミーオブダンス)の助手の資格を取得し、RADの本部があるイギリスのロンドンなど海外でも勉強を続け、本教師の資格を得た方です。RADは、1920年に創設され、昨年創立100周年を迎えた世界最大のクラシックバレエの教育機関です。世界80か国もの国でRADの教授法が用いられ、日本では東北で唯一公認されたのが片谷沙和子先生のスタジオなのです。秋田にいながら世界のことも学べる国際的な環境だったから、今の玲さんが誕生したんでしょうね。

永井玲さん

Michikoは、エンジェルロイヤルバレエスタジオのデモンストレーションでは、最初からアナウンスのお手伝いをさせて頂いています。永井玲さんには小学生の頃からオーラがあり、中学生の頃には、子供とは思えないほどの輝きを感じていました。そんな玲さんの今年のバレエを見て、言葉で言い表せられないほど感動したのです。心から舞台で踊れる喜びと、先生のそばでお手伝いできる喜びが自然に笑顔を創り出していました。バレエが上手で美しいだけではなく、話の受け答えから人に接するときの態度!素晴らしいと思いました。
ご両親はどんな育て方をしたのかしら? なーんて!
お会いして、ご両親にもお話を伺ってみたくなりました。

永井玲さん

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