ニュース
テレビ
ラジオ
イベント・映画
アナウンサー
番組表
動画配信
ブログ
ABSあぷり
SNS

カテゴリ「ブログ」のアーカイブ

2022年9月25日

元ABSアナウンサーの塩田睦子さんは、更に聡明な美しい女性になっていました。

9月25日のゲストは、元ABSアナウンサー塩田睦子さん。今年の初夏、秋田さきがけの新聞に塩田さんの顔が載っていたので記事を読むと塩田さんは今「秋田昔ばなし大学再話研究会」の会長をしているそうで、その活動の内容が書かれていました。
昔話と言えば、私はすぐ「かぐや姫・兎と亀・桃太郎・おむすびころりん・花咲かじいさん・・・・・・・・・・」など浮かびますが、
そんな昔話の文法や再話(子供にもわかるように書き直すこと)の研究をしているのが、「秋田昔ばなし大学再話研究会」なんだそうです。
いかにも塩田さんらしい生き方をしていると感じ、急に逢いたくなって連絡をとり出演して頂いたのです。
実は、私と塩田さんは高校生の頃からの親友なんです。
旧姓・石黒睦子さんとは、秋田北高の放送部で知り合い私はいつも、「むっちゃん」と呼んでいました。
何年も会っていなかったのに、ついつい本番中にも「むっちゃん!」と呼んでしまいました。
「秋田昔ばなし大学再話研究会」については、ひと言では説明できないほど深いことから番組では詳しくお聞きする事は出来なかったのですが、
やはり懐かしい塩田アナの声をと思い、「昔っこ」を少しだけ語って頂きました。
すごい!声がアナウンサー時代より、堂々としていて何より秋田弁が上手―い!自然な語り!
高校時代は、むっちゃんが原稿を書き私がナレーション担当で、よく放送コンクール用の番組作りのために放課後、お菓子や近くのナカヤというお店で「うどんやそば」を食べながら夜遅くまで頑張っていた話など出てきましたが、リクエスト曲を聞いてビックリ!私の家のステレオで聞いたというジャンニナザーロの「恋は鳩のように」!
私は、むっちゃんと食べたケーキやお菓子のことばかり記憶にあってジャンニナザーロのことはすっかり忘れていました。
高校時代、私は水を飲んでも太るタイプでかなりのおデブちゃんだったので、いつも細くて可愛いむっちゃんは、「たくさん食べるのに、どうして太らないんだろう!」
って思ってたのです。
まだまだ話したいことがあるわね!っていう事になり、そのうちご飯でも食べながらゆっくりおしゃべりしましょう!と約束をしちゃいました。

塩田睦子さん

二人とも、高齢にはなったけどお互いに好きな事をして今も生きています。
「一生のなかで今が一番幸せかもね。」なーんて言いながら!
とにかく健康じゃないと、好きな事もできないので、二人とも体を大切にとお互いにエールを送って再会を誓いました。

塩田睦子さん

2022年9月18日

八郎めんの杉淵正英社長は秋田県水上スキー連盟の会長でもあり心の広いすごい方でした。

杉淵正英さんと高木悠さん

9月18日のゲストは、杉淵正英(すぎぶちまさひで)さんと日本大学経済学部副主将の高木悠(たかぎゆう)さん。
9月16日から19日まで3年ぶりに大潟村水上スキー場で開かれた第67回桂宮杯・全日本学生水上スキー選手権大会(インカレ)と9月21日から25日まで開催された第68回桂宮杯全日本水上スキー選手権大会のPRのために訪れました。
今回、一番驚いたことは、杉淵さんは男鹿市船越のイベントなどでいつも積極的に行動している(株)八郎めんの社長であることは
知っていたのですが、他にも様々な分野で凄い活躍をされている方だという事です。
偉ぶる事もなく悠然とした態度でいつも淡々と活動しているに杉淵さんを、ただただ尊敬するばかりです。
現在は秋田県水上スキー連盟会長・船越商店会会長・男鹿市観光協会副会長・男鹿しょっつる焼きそばを広める会副会長を務めています。
杉淵正英さんは1981年日本大学経済学部経済学科を卒業。(1980年・日本大学モーターボート水上スキー部の主将)
1998年に秋田県水上スキー連盟が発足し1999年には全日本水上スキー選手権大会が秋田で初めて開催。(今年で6回目)
2001年にはワールドゲームズが開催され秋田県大潟村で水上スキー種目が開催され
2003年からは全日本学生水上スキー選手権大会が初めて大潟村で開催され今年で18回目になるそうです。
いずれも、杉淵さんが中心となって実施できたことです。
さらに驚いたことには、この夏、大学の後輩にあたる高木悠さんたち(12名)のために、
ご自分の自宅を1か月半も合宿所として無料で貸していたのです。
なんて器の大きい方なんだろうと思います。本業のお仕事も順調で生活に余裕がなければできない事です。
思いはあっても実行できる人はなかなかいないとおもいます。
生まれも育ちも東京という高木悠さんも、こんなに爽やかで感じのいい若い人が今の時代にいるんだ!と感動!
お二人の言葉にひかれ、Michikoは二つの全国大会に行ってみました。
想像以上に目の前で見るとすごーい迫力!水上スキーって見るのも楽しいし、大潟村の幹線排水路につくられた水上スキー場は別世界。!

水上スキー選手権大会水上スキー選手権大会

水上スキー選手権大会水上スキー選手権大会

水上スキー選手権大会水上スキー選手権大会

水上スキー選手権大会

大潟村水上スキー場は日本一、いや世界一でもあるかもしれないほど水上スキー場に適している場所なんだそうです。
見る方も、こんなに近くで見られる場所はないんだそうです。
ただ残念なことに、ほとんどの選手が県外の方!関東や京都・兵庫・大分・・・!
なんでだろう!と考えたとき、あ!秋田県内の大学に水上スキー部がないんだあって!
もっともっと宣伝して、沢山の方に選手として、見学者としても水上スキーを楽しんでもらいたいと心から思いました。
インカレの大会では、Michikoの学生時代を思い出し胸が躍りましたよ!

2022年9月11日

大心社長の人生に大きな影響を与えた向馬口労町竿燈会

9月11日のゲストは、心の花・東海林大心社長が子供のころ大変お世話になったという向馬口労町竿燈会(むかいばくろうまちかんとうかい)の秋田市竿燈会6代目会長であり名誉会長の堀祐一さん(89歳)と祐一さんの妹・佐藤静子さん(77歳)においで頂きました。

堀祐一さんと佐藤静子さん

大心社長が大学を卒業したらどうしようか?自分にとって人生を豊かにする仕事を探していたところ、竿燈に夢中になっていたあの時代が今までの人生の中で一番楽しく過ごしたことを思い出し、今の生き方の土台になっているのだそうです。
掘祐一さんによると、30年前には向馬口労町町内には小さい子供がいなかったので、後継者が少ないために竿燈をやりたいという子供たちには、他の地域に住んでいる子でも大歓迎で受け入れたそうです。そこに小学校4年生の、竿燈やりたくてうずうずしていた大心少年がお母さんに送ってもらい念願だった大好きな竿燈の練習をしにやってきたのですから、大心君はそれはもう竿燈にますますやる気を示し熱心に練習に励んだそうです。
掘さんの奥様・美智子さんや静子さんたち女性は、子供たちにどうか、途中でやめないで明日も来てくれるようにと、手作りの料理やお菓子・ジュースなどを用意しもてなしていたようです。大心君はスポーツ万能で、今と同じとてもしっかりしていてやる気満々の元気な子だったようですよ。
戦争でたくさんの物を失い人々が暗い気持ちになり元気がなくなっている様子を見て竿燈を多くの人に見てもらい、元気を出してもらいたいと戦後すぐに、戦前よりも盛んに行われるようになった竿燈ですが、その頃は女性は竿燈には一切参加できなかったそうです。
祐一さんの奥様は、竿燈まつりの最中は本番の演技は一度も見たことがなく、ただひたすら竿燈に携わっている男の人たちのために神棚のお供え物の準備や食事・お酒を用意し、影で支え縁の下の力持ちになっていたのです。
女性が笛や太鼓のお囃子で今のように参加できるようになったのは祐一さんのお父様・倭夫(しずお)さんが提案し「竿燈をもっと広めたい!県外からもたくさんのお客さんに来てもらい秋田を盛り上げたい。それには、女性も参加できるようにすれば、きっと沢山の人が来てくれるはず!」と多くの反対意見もあった中、がんばって今のような形になったそうです。
静子さんは、伊藤要さん浅野千鶴子さんが歌って、レコードになっていた「竿燈音頭」が気に入って、毎日、何度もレコードをかけて聞いていたそうです。
その「竿燈音頭」今はほとんど聞くことができなくなったので、その曲をリクエストしてくださいました。
おそるおそるABSのレコード室でさがしてみたら、ありましたあ~。

竿燈音頭

竿燈音頭

竿燈音頭レコード

さすが昭和28年県内最初の民間ラジオ放送局・ラジオ東北!(現在の秋田放送)
秋田を盛り上げようと当時がんばっていた先輩たちの汗が「竿燈音頭」には入っているのです。

竿燈音頭歌詞

この曲、もう一度、来年から竿燈まつりの会場で流してほしいし、女性たちが「竿燈音頭」にあわせて踊ってほしいと思ったMichikoでした。
それにしても、竿燈まつりの本番の演技は一度も見ることもなく、男の人たちが参加した後に食べるお料理や洗濯そのほか、クタクタになるまで陰で支え縁の下の力持ちとして過ごした堀さんの奥様、美智子さんは素晴らしい!奥様がいたから、今も堀さんは竿燈に関わりお元気でいられるんですね。

堀祐一さん

堀祐一さんの心の中には今も美智子さんがいらっしゃる!と思いました。

ひとまわりも年上のお兄様のそばでテキパキと行動する妹の佐藤静子さん。すばらしい兄妹の関係にも感動しました。
堀家は元々静岡県の、造り酒屋で使う酒樽を作る会社だったそうです。出来た酒樽を全国へ運んでいましたが、それから時代が変わり秋田に住むようになり酒樽から、酒屋に変え商店として地域に貢献してきた堀家。そんな歴史があるから家族の絆がしっかりしているのですね。
まだまだ、いっぱい聞かせて頂きたい事があるのでいつかまた、まめだすとーくのスタジオにおいで頂きたいです。

掲載されている記事・写真等すべての無断転載を禁じます。Copyright © Akita Broadcasting System. All Rights Reserved