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2022年9月11日

大心社長の人生に大きな影響を与えた向馬口労町竿燈会

9月11日のゲストは、心の花・東海林大心社長が子供のころ大変お世話になったという向馬口労町竿燈会(むかいばくろうまちかんとうかい)の秋田市竿燈会6代目会長であり名誉会長の堀祐一さん(89歳)と祐一さんの妹・佐藤静子さん(77歳)においで頂きました。

堀祐一さんと佐藤静子さん

大心社長が大学を卒業したらどうしようか?自分にとって人生を豊かにする仕事を探していたところ、竿燈に夢中になっていたあの時代が今までの人生の中で一番楽しく過ごしたことを思い出し、今の生き方の土台になっているのだそうです。
掘祐一さんによると、30年前には向馬口労町町内には小さい子供がいなかったので、後継者が少ないために竿燈をやりたいという子供たちには、他の地域に住んでいる子でも大歓迎で受け入れたそうです。そこに小学校4年生の、竿燈やりたくてうずうずしていた大心少年がお母さんに送ってもらい念願だった大好きな竿燈の練習をしにやってきたのですから、大心君はそれはもう竿燈にますますやる気を示し熱心に練習に励んだそうです。
掘さんの奥様・美智子さんや静子さんたち女性は、子供たちにどうか、途中でやめないで明日も来てくれるようにと、手作りの料理やお菓子・ジュースなどを用意しもてなしていたようです。大心君はスポーツ万能で、今と同じとてもしっかりしていてやる気満々の元気な子だったようですよ。
戦争でたくさんの物を失い人々が暗い気持ちになり元気がなくなっている様子を見て竿燈を多くの人に見てもらい、元気を出してもらいたいと戦後すぐに、戦前よりも盛んに行われるようになった竿燈ですが、その頃は女性は竿燈には一切参加できなかったそうです。
祐一さんの奥様は、竿燈まつりの最中は本番の演技は一度も見たことがなく、ただひたすら竿燈に携わっている男の人たちのために神棚のお供え物の準備や食事・お酒を用意し、影で支え縁の下の力持ちになっていたのです。
女性が笛や太鼓のお囃子で今のように参加できるようになったのは祐一さんのお父様・倭夫(しずお)さんが提案し「竿燈をもっと広めたい!県外からもたくさんのお客さんに来てもらい秋田を盛り上げたい。それには、女性も参加できるようにすれば、きっと沢山の人が来てくれるはず!」と多くの反対意見もあった中、がんばって今のような形になったそうです。
静子さんは、伊藤要さん浅野千鶴子さんが歌って、レコードになっていた「竿燈音頭」が気に入って、毎日、何度もレコードをかけて聞いていたそうです。
その「竿燈音頭」今はほとんど聞くことができなくなったので、その曲をリクエストしてくださいました。
おそるおそるABSのレコード室でさがしてみたら、ありましたあ~。

竿燈音頭

竿燈音頭

竿燈音頭レコード

さすが昭和28年県内最初の民間ラジオ放送局・ラジオ東北!(現在の秋田放送)
秋田を盛り上げようと当時がんばっていた先輩たちの汗が「竿燈音頭」には入っているのです。

竿燈音頭歌詞

この曲、もう一度、来年から竿燈まつりの会場で流してほしいし、女性たちが「竿燈音頭」にあわせて踊ってほしいと思ったMichikoでした。
それにしても、竿燈まつりの本番の演技は一度も見ることもなく、男の人たちが参加した後に食べるお料理や洗濯そのほか、クタクタになるまで陰で支え縁の下の力持ちとして過ごした堀さんの奥様、美智子さんは素晴らしい!奥様がいたから、今も堀さんは竿燈に関わりお元気でいられるんですね。

堀祐一さん

堀祐一さんの心の中には今も美智子さんがいらっしゃる!と思いました。

ひとまわりも年上のお兄様のそばでテキパキと行動する妹の佐藤静子さん。すばらしい兄妹の関係にも感動しました。
堀家は元々静岡県の、造り酒屋で使う酒樽を作る会社だったそうです。出来た酒樽を全国へ運んでいましたが、それから時代が変わり秋田に住むようになり酒樽から、酒屋に変え商店として地域に貢献してきた堀家。そんな歴史があるから家族の絆がしっかりしているのですね。
まだまだ、いっぱい聞かせて頂きたい事があるのでいつかまた、まめだすとーくのスタジオにおいで頂きたいです。

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