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2023年6月4日

道の駅にしめのギャラリーは、元駅長の菊池弘さんが10年前に開設したんですって。

ラジオお聴きのリスナーさんから、こんなお願いの封書が届きました。

「まめだすとーくに是非、ゲストに迎えて頂きたい方を紹介させていただきます。その方は、道の駅にしめ元駅長で現在統括支配人の菊池弘(きくち ひろし)さんです。菊地氏は、秋田県写真協会会員です。にしめ道の駅の駅長時代にギャラリーを開設し写真愛好家に無償で提供し今年が丁度10年目になります。この記念企画展として4月は秋田の女性写真愛好家たちの視点5月は秋田のモノクロ写真展を開催しています。10年間の思い出話や地域の賑わい、効果などラジオを通して語る機会があれば、幸勘です。」
と写真を見るのが大好きだとおっしゃるリスナーさんから届いたのです。

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道の駅めぐりが大好きなMichikoは、道の駅にしめ「はまなすの里」にも行ってギャラリーを覗いているんですよ。

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モノクロ写真展では今ではあまり見られなくなった田んぼの横でお昼寝をしている様子や水上スキーの波立っている瞬間を撮った写真、「ぬくもり」というタイトルがついたご夫婦であろうお二人が手をつないでこちらを見ている写真は、とても自然な笑顔がすてきでした。ほかの作品もすべてアマチュアとは思えないほど素晴らしい作品ばかりでした。

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菊地弘さんは1951年(昭和26年)10月26日生まれの71歳。旧大内町で誕生し昭和48年に旧大内町役場に勤務。市町村合併によって由利本荘市の職員となり平成24年、由利本荘市西目総合支所勤務を最後に退職。2012年(平成24年)6月から「道の駅にしめ」に勤務。現在は統括支配人として活躍しています。

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印象に残ったのは、リクエスト曲が南沙織の「ともだち」という曲でした。菊地さんが若い頃、好きだった歌手なのかなぁと思ったのですが、違いました。それはプロのカメラマン篠山紀信さんが結婚した方だったからなんですって。カメラマンの方は皆さん美人をお選びになるのかしら?とお聞きましたら、「自分の嫁さん、負けてませんよ!」って。思わず拍手してしまいました。1951年(昭和26年)生まれの男性の発言でしたから、ちょっと驚き、素敵!と思い嬉しかったのです。旧大内町役場時代に恋愛結婚したそうです。

当時から写真を撮りに行くときは、できる限り二人一緒なんだそうですよ。だから、菊地さんは、人に優しく出来る方ですし、人格者だから番組にこんな手紙が届いたのですね。
道の駅にしめのギャラリーで今度はどんな写真が見られるのか楽しみです。

2023年5月28日

ABSカラオケ歌謡大賞の優勝者、山川大介さんは声も姿も若々しく気さくで優しい方でした。

5月28日は、男鹿市の浮田産業輸送株式会社社長の浮田忠勝さんのご紹介で、演歌歌手の杉本健太郎さんにナビゲーターとしてお手伝い頂いています。健太郎さんが紹介してくれたこの日のゲストは、健太郎さんのお父様で歌手生活40周年を迎えた歌唱力抜群の演歌歌手、山川大介さん(1948年(昭和23年)10月4日生まれ)。

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山川大介さんは、ABS秋田放送とはとても縁がある方なんです。
なんと伝説の年末恒例人気テレビ番組ABSカラオケ歌謡大賞の第3回優勝者なんです。
もちろん、私は山川大介さんが出演のステージなどで司会をさせて頂いたり、何度もお会いしたことはあるのですが、目と目を合わせてじっくりとお話することはなかったので、ドキドキしながらお話をお聞きしました。

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昔、「高山しげみ」という名前で出ていた時代から知っているMichikoですが、山川大介さんは私たちも知らない秋田放送の前身・ラジオ東北時代の番組にもたくさん出演して頂いたようです。その話が面白くて大介さんのお話に釘付けになっちゃいました。

小学校3年生の時には「ロート製薬歌合戦」で優勝し賞金1400円をもらったこと、司会は児玉光雄アナウンサーだったこと、顔まではっきりと覚えているそうです。この番組のコマーシャルもちゃんと覚えていて、スタジオで披露してくれました。それが浪曲調で、お見事。さすがプロ!と同時にアピール度が凄くって、大笑いになりました。他にも同じ小学校3年生の時に「民謡学校」という番組ではほとんどが大人の中での準優勝。

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歌う機会があれば、県内いろんな場所にお父さんと一緒に出かけうたったそうです。
現在「ミルハス」となっている県民会館の場所にあった「記念館」でもよく歌っていたそうですよ。いつもステージに立つと大介さんは別格でファンの方たちが大勢駆けつけ大変な人気ぶりです。やはり、抜群の歌唱力とトークの面白さ。人を惹きつける魅力があるんですね。

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健太郎さんも、初めて聞く話の内容に驚いた様子でした。山川大介さんには7月にもおいで頂く予定です。

2023年5月21日

日本のラグビー界のレジェンド 吉田義人さんは、やさしさ溢れるジェントルマンでした。

ラジオをお聴きのリスナーさんから、「吉田義人さんが今、時々秋田に帰り秋田工業高校のラグビー部の後輩たちにラグビーを指導しに来ているので、是非まめだすとーくのゲストに呼んでください。」というお願いのメッセージが番組に届きました。
え?あの吉田義人さんに!? お忙しい合間を縫って来てくれているのにスタジオにおいで頂くなんて無理でしょうと最初は思ったのですが、ラグビー関係者の皆さんから連絡を取って頂きスタジオにおいで頂くことが出来ました。

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私たちの世代で吉田義人さんを知らない人はいないでしょう。それほど、吉田義人さんは日本のラグビー界のレジェンドであり、秋田の宝のような存在なんです。打ち合わせのとき、それまでテレビや新聞でしか知らなかった吉田さんのイメージは、余計な事は言わない、どちらかというと無口な方なのかしら?と、ちょっとドキドキしながらお会いしたのですが、「何か飲みませんか?」とあの吉田さんのほうからコーヒーをご馳走してくださってびっくり。え~優しい!笑顔も見える!一気に緊張感が薄れました。

ABSのラジオスタジオで吉田さんは、自分の秋田に対する思いを語ってくださいました。吉田義人さんは、男鹿市出身で現在54歳です。ラグビーは小学校の3年生のとき、冬の寒い日、仲良しの友達(じゅんぺい君)から「ラグビーやってみない?」と言われて、雪の積もっている田んぼの上で初めてラグビーで遊んでみたらすごく面白くて、それからラグビーに夢中になったとのこと。じゅんぺい君の入っているラグビースクールに入りたくてお母さんに話したら、「習字とソロバンをちゃんとやるんだったら良いよ!」とお母さんと約束して許可をもらいラグビースクールに入ることが出来たそうです。(吉田さんがお母さんの言葉を今もしっかりと覚えているのには驚きでした。)

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男鹿東中学校時代には、東日本中学生大会で優勝。秋田工業高校のラグビー部では1年生からレギュラー選手として出場し花園・全国大会優勝。各大学からスカウトマンたちの吉田獲得合戦があったようですが、明治大学が獲得に成功。明治大学でも1年生からレギュラーで大活躍。4年生でキャプテンとなり明治大学ラグビー部の輝かしい黄金時代を築くのです。
19歳で日本代表に選ばれオックスフォード大学戦で代表デビューを果たしました。伊勢丹など社会人ラグビーでも活躍しますが、2000年には日本人として初めて、フランスのUSコロミエチームとプロ契約した方なんです。

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現在は、2014年から7人制のラグビーチーム「サムライセブン」を設立し監督をしています。そんなお忙しい中、秋田工業高校のラグビー部に月に10日位、ほとんどボランティアで指導しにいらしているのは、自分を育ててくれた秋田の皆さんへの恩返しとして、もう一度ラグビー大国だった、あの強い秋田にしたいという思いからだと感じました。

吉田義人さんは、生まれた時から身体能力が特別に優れていたのではないかと思っていたのですが、それは大きな間違いでした。驚くほどの努力と、挫折だってあったんです。
お話を聞いていて、まるでドラマみたいで、状況を想像しながら聞き入ってしまいました。
まだまだお聞きしたいと思い、続きは6月18日のオンエアです。吉田さんがお世話になった方々が出てきます。どうぞお楽しみに。

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