3年
「3年」という月日が経過すると、中学生や高校生は学校を卒業します。
子どもから大人へと成長を遂げうるだけの時間。
そう考えると、たっぷり時間があるような気がしますが、
それだけ時間があっても、やはり一つの街が再び成長するには時間が足りないのでしょうか。
一方で、プロスポーツの世界などでは
「プロなら3年で結果を出さないと」なんていう話をよく聞きます。
3年が経って、復興を約束した人たちは結果を出せているのでしょうか。
被災地を見て感じたことを、放送で秋田の皆さんに伝えることで、
復興のために、あるいは防災のために何か少しでも役に立つかと思い、毎年一度は被災地を訪れています。
ただ決して忘れてはならないのは、自分が見たのは365日のうちの1日であり、1つの街。
時間にしても、エリアにしても、ほんの一部であるということ。
分かった気になってはいけません。
過去2年の岩手県釜石市や大槌町よりも、今年は北上し宮古市へ。
道の駅みやこの津波の表示。
一階部分はまるまる飲み込まれたことになります。
そして、あの三陸鉄道に乗って
津波で甚大な被害を受けた宮古市田老地区(旧・田老町)へ
震災の教訓を語り継ぐ「学ぶ防災」という活動のガイドの佐々木さんからお話を伺いました。
大昔から何度も津波の被害にあってきたからこそ、町全体が津波への意識をしっかり持ち、
防潮堤・逃げやすいよう整備された道路(隅切り)など対策をとってきた田老地区。
平成15年、旧田老町時代に「津波防災の町宣言」も出していました。
防潮堤は、「世界最強」「万里の長城」とまで言われていました。
こちらが第一防潮堤。
ただ、津波は10mの高さを超えてきました。
そして、大潮対策としての意味合いも強かった第二・第三防潮堤は津波で破壊されたそうです。
手前が、第二防潮堤があった部分。
奥に見えるのは、四階まで津波が押し寄せた"たろう観光ホテル"
「学ぶ防災」で建物内にも入り、実際にホテル六階で撮影された津波が押し寄せる映像を見せていただきました。
真下まで津波が迫り来る様子は、信じられない光景、そして恐怖です。
さて、佐々木さんから話を聞いた中で、皆さんにもお伝えしたい事は三つ。
■命を守るのはあくまでも自分
防潮堤が完成した当初から、
「防潮堤は津波から逃げる時間を稼ぐためのもの」という事は言い伝えられてきたそうです。
ただ、70年近く津波の被害にあわないうちに、やがて「この防潮堤があるから大丈夫」という甘えが生まれたのではないか。
どんなにいい設備が今後できていっても最後に自分の命を守るのは自分
■想定外はない。被災後の想定も忘れずに。
自然が相手なので、「想定外」という事はありえない。あってはならない。
命を守る対策はもちろん大事。
ただ、災害が発生した後のことも想定して、さまざま準備が必要。
一番困るのはトイレ。
水が使えなければ、水洗トイレも機能しない。
停電になれば、町の防災無線も機能しない。続報が届かない。
■前へ
三年経っても、つらい気持ちは当然消えない。
つらい経験は一生背負い、墓場まで持っていく。
ただ、後ろを見ていても始まらない。
前に進んでいかなければ。
田老はこのままでは終わらない
また数年後、生まれ変わった田老をぜひ見に来てほしい。
震災から三年。
目に見える明白な形での町の復興というのは、やはり相当時間がかかるんだなと実感しました。
そして、それだけ地元の人は苦しく、つらい時間が長く続くということ。
三年は経っても、何かが劇的に変わるわけではなく、
これからまた四年目に向けて、その先に向けての一日一日が始まります。
一方で、確実に前に進んでいるもの、三年で復活・復興を遂げたものも。
移動でも使った「三陸鉄道」は今も一部区間で運休していましたが、
いよいよ4月から全線開通だそうです。
線路がつながれば、町がつながって、人がつながります。
また三鉄に乗りに、ゆっくりと海鮮丼を食べに、足を運ぼうと思います。