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2022年1月23日

大沢勉さん元プロ野球選手

12時間にも及ぶ胆管がんの大手術後、半年、元気な姿を見せてくれた元プロ野球選手、大沢勉さん。今の医療の素晴らしさ、お医者様・看護師さんはじめスタッフの素晴らしい対応を受け、感謝の気持ちとお医者様のいうとおりにしていたら、必ず病気は克服できると思うのでと今現在、病気で悩んでいる皆さんにむけ、強く語りました。

金澤武さん

1月23日のゲストは、日本ハムファイターズなどで活躍なさった元プロ野球選手で、現在はリトルシニア能代の総監督大沢勉(おおさわ つとむ)さん73歳です。今も立派な体格で、現在の体重73キロということですが、手術前に比べるとかなり体重が減っているようです。(Michikoからみたら、今のままでちょうど健康体って感じですけどね。)

去年の6月、今までに感じたことがない倦怠感があり歯磨きをするために鏡をみたら顔色が黄色なので驚き、すぐかかりつけのお医者様に飛んでいったそうです。診断結果は、黄疸。すぐ大きな病院へ紹介状を書いてくださり、即入院。大きな病院での診断は、胆管がん。
12時間にも及ぶ大手術後、コロナ禍でもあり家族や友人にも頻繫に会うこともできず、気分が落ち込み、今までのように子供達へ野球の指導ができるのか?など不安になったこともあったようですが、徐々にまた野球への情熱が蘇って来たようです。

金澤武さん

大沢勉さんは、1948年(昭和23年) 5月23日能代市二ツ井町で誕生。1964年(昭和39年) 合川中学校2年から野球部に入り秋田県中学校野球大会に初出場。1965年(昭和40年) 秋田県立能代高校入学・野球部入部。能代高校では、同じく元プロ野球選手・山田久志さんと2年3年の同級生で、ピッチャーが山田さんのときはキャッチャーが大沢さんで試合をしたことが多く仲良かったそうですよ。プロになってから対戦することもあったそうです。
1967年(昭和42年) 能代高校卒業後は、日本鉱業日立鉱業所入社。

日鉱日立野球部では、社会人野球スポニチ全国大会優勝。都市対抗野球大会日立製作所チーム補強選手として出場するなど、大活躍。1971年(昭和46年) 東映フライヤーズ入団。1972年(昭和47年) 日拓ホームフライヤーズ入団(ジュニアオールスターズ出場・ベストナイン受賞)。プロ2年目の春のキャンプで、元プロ野球選手3000安打達成者の、あの張本勲さんと1カ月同じ部屋で過ごしたことがあるそうです。張本さんは見かけとは正反対で、とても気持ちの優しいかたでなんでも相談できる、とにかくやさしく親切な方だったそうです。みんなと一緒の練習を終えた後の個人練習がすごかったそうですよ。個人練習は誰にも見られないようにしていたとのこと。1973年(昭和48年) 日本ハムファイターズ入団(ジュニアオールスターズ出場)。日本ハムファイターズ退団後・大高酵素(株)に入社。

野球しか知らなかった大沢さんは、新しい仕事を覚えようと一生懸命。35年前、岩手県盛岡市で仕事をしている時、小学校4年生だった息子さんが野球をすることになり、チームを覗きに行くと当時、盛岡では硬式のボールを使っていたことに驚き、しかも秋田の男鹿市から硬式の練習をしたいと毎週土日、盛岡に通っている夏井4兄弟がいることを知り、秋田では当時まだ硬式で練習しているところがひとつも無かったので、いつか秋田に帰って硬式のチームを作ろうと思っていたそうです。大高酵素を退職した16年前、ついにその思いを果たしリトルシニア能代チームが誕生したのです。今は、硬式で指導するチームが秋田県に6チームあるそうです。

金澤武さん

大沢さんの夢は、まだあります。それぞれの場所で行っているチームを1本化すること。考えてみると、病気するまで自分の体に自信過剰で栄養のバランスなど考えなかった、とおっしゃる大沢さん。今はお酒も飲まずに、お医者様のいうことを聞き、夢の実現のために頑張っている様子。奥様にも言葉ではなかなか表現できないようですが、かなり感謝しているようでした。3年後、5年後にも元気な姿でスタジオにおいで頂けたら嬉しいです。この冬は、雪かきを一生懸命やっている大沢さん。あまり無理しないでくださいね。

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