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2022年10月9日

喜寿を迎えて、最高のお父様に感謝の思いをと自分史を書いた千葉美栄さん

千葉美栄さん

10月9日のゲストは、心の花・東海林大心社長のご紹介で千葉美栄(ちばみえ)さんをスタジオにお迎えしました。

千葉美栄さん

喜寿の記念に、大好きだった今は亡きお父様(天野千代之助さん)と共に生きた証しとして自分史をお書きになった方です。

父の子

父の子

昔の写真をたくさん持って来てくださいました。本の中にもお父様と一緒の写真がたくさん載っています。

父の子

父の子

今も、きりっとした美しい美栄さんですが、お若い時のお顔は女優さんかしらと思うほどの美しさにウットリしちゃいました。

天野千代之助さんは秋田師範学校本科第二部大陸科を卒業と同時に中国に渡り、北京西城第一日本国民学校の教師として勤務。
日本人相手の魚屋さんを営んでいた長野県出身、佐野家の敏子さんと結婚。
昭和20年(1945年)7月20日に美栄さんは北京で誕生しました。日本は戦争に敗れ8月15日に終戦を迎えます。日本人はそれまでの恵まれた環境から一瞬で、惨めで命の危険にさらされる生活に落ちてしまうのです。
昭和21年(1946年)千代之助さん(24歳)敏子さん(22歳)美栄さん(1歳6カ月)の時に天野一家は中国からの引き上げ船に乗ったのです。
本の前書きにこんな文章が綴られてました。
「平成23年(2011年)3月18日旅立った父の言葉
*俺がいたから残留孤児にもならず、今年も終戦記念日を迎えられるんだぞ。
お前を背負った帯を握った手の汗を今でも思い出す。
いつもお前の命を握って来たのがこの手なんだなあ
 と
ベットの上で白く細くなった自分の手を見つめていた父。私は二度も父に命を救われたのだった。
・東日本大震災の奇跡(平成11年(1999年)3月)
前日まで夫と仙台を旅し難を逃れた私達の事を 俺が守った と言い切り、その一週間後に私達夫婦の身代わりのように旅立った父だ。
そんな父を思いながら最高の父親に感謝と、共に生きた証しとして
喜寿を迎えて自分史を書き残すことにした。」
この前書きを読んだだけで戦争の悲惨さが伝わり胸が苦しくなり内容に引き込まれ、一気に読んでしまった千葉美栄さんの自分史です。
天野千代乃助さんは、戦後、郷里(天王町二田)に帰り戦争で荒れすさんだ中から地域のために人々の心を癒し地域や人々のために闘い教師として堂々と生き抜いた立派な方です。
そんなお父様から影響を受けた方だから、美栄さんのこれまでの生き方になったのだと思いました。
昭和42年にお父様が気に入ってすすめてくれた千葉茂夫さんとの結婚。お父様の目は正しく茂夫さんは優しく大人で美栄さんが自分らしく生きられ幸せな生活を送りました。
千葉美栄さんは、お父様の生き方と同じように、地域のために人々のために尽くしてこられた方です。
昭和51年(1976年)から30年間も秋田市の「童ッコの雪まつり」の実行委員会をスタートに、ボランティアなど
ここに書ききれないほど、活動されてきた方です。
現在は、22歳から続けてこられたという「茶道」だけ残して活動しています。
お着物姿の美栄さんを見るのが大好きだったお父様も茂夫さんも応援してくれたお茶の道。
美栄さんはこんな風に綴っています。
「茶室の小さな空間の中で 厳しさ、優しさ、美しさ、醜さ、合理的で簡素な手前と四季折々の楽しみを想い出の好きな道具で一人過ごす時間が好きだ。」
千葉美栄さんからは、まだまだ教わることがたくさんありそうです。

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