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2010年11月23日

2010年11月23日(火)

廣田ANの留守番二日目の賀内です。

きょうの「歌のない歌謡曲」で、かつて男性3人のグループ・ガロが歌っていた「学生街の喫茶店」がかかり、ディレクターと思わず「なつかしい」と声をかわしました。歌そのものもそうですが、歌われている「昔ながらの喫茶店」をなつかしく感じたのです。

「喫茶店の思い出」を呼びかけたところ、たくさんのメールや電話をいただきました。

「東京の学生時代、授業を抜け出して喫茶店に行っていた」のは「空飛ぶ急須」さん。
私も同じ生活でしたよ。悪友たちと、コーヒー1杯で延々とだべっておりました。

喫茶店デビューが高校というのは「ひろぴー」さん。「制服から私服に着替えて、週一くらいで行ってました。オムライスかピラフ、チョコレートパフェ、それで2〜3時間」
「大館の駿平の父さん」は、「高校時代、駅前の喫茶店でケチャップたっぷりのナポリタンを食べるのが楽しみでした」。
そうそう、喫茶店で初めて食べた料理も記憶に鮮やかです。私はピザも喫茶店で初めて食べました。今のように、宅配ピザやファミレスで手軽に注文できる時代ではなかったのです。
でも、喫茶店禁止の学校もありました。「カーネーション」さんは「行っていい店とだめな店があり、ときどき抜き打ち検査にひっかかって注意された人もいました」。

喫茶店はデートの場でもありました。「イーストリリー」さんは「主人と初めて喫茶店に入って、緊張してコーヒーのスプーンをどこに置いていいか分からなくなった」。純情ですねえ。

店名つきの思い出も寄せられました。
「秋田駅前のサンジェルマン。大きな大きなパフェを皆で食べるのが楽しみでした」というのは「ぺけぽこりん」さん。
「スベスベちゃん」からは、「秋田市の中央通りにあったトレビア。幼稚園の頃、近所のおばさんに連れていってもらって、ぶどうジュースやカスタードプリンを食べました」。
大館の「ありか」さんは「秋田市の異人館。カフェオレは、ミルクとコーヒーを目の前で注ぎ作ってくれるので、何ともいえない味わいでおいしかったです」。

喫茶店で働いていた体験談は「十文字の鶴亀」(60代)さん。
「若い時に有楽町のカーネギーホールでアルバイトしていました。当時お客さんはほとんどアベックでした。アツアツであてられっぱなし。あまりのあてられぶりに、注文を忘れてしまうことも多々ありました」。
この「カーネギーホール」という店、私(49歳)は記憶がないのですが、ディレクター(50代)は覚えている、と言っていました。どんなアツアツぶりか。店内には妖しい空気がたちこめていたに違いありません。何といっても「アベック」ですよ。「アベック」。

喫茶店といえば、忘れられない情景があります。
1995年の阪神大震災の時、震災から何か月かたった頃、廃墟同然だった神戸の街に喫茶店ができました。もちろん急ごしらえの小屋みたいな建物で、会議用の机とパイプいすを並べただけの店だったのですが、利用客がコーヒーを飲んでひとこと、「生き返ったようです」と言いました。
私はテレビでその様子を見ていて、これこそ、喫茶店だと思いました。
避難所や仮設住宅暮らしで、震災の後始末に追われる毎日。でも喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいる間だけでも、つらい現実をつかの間忘れられるかもしれないのです。
コーヒーを飲んだり、料理を食べたりするだけではない、喫茶店の効用ですね。

「あさ採りワイド」も、喫茶店のように、皆さまにやすらぎの時間を提供できればいいなと考えながら、メッセージを紹介していました。

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