ABS秋田放送

2017年11月1日

秋田放送の誕生日

11/1(水)の「あさ採りワイド秋田便」
9時の時報のあとの「あさヨミ」は、パーソナリティがその日の秋田魁新報から気になる話題を選んで紹介しています。

魁の紙面をめくるとき、私が欠かさず読むのは「内外の歴史」という二段のコーナー。
きょうという日、過去、何が起きたのかが並んでいるのですが、11月1日というのは、平成の大合併で美郷町が誕生した日だったんですね。
さらに読み進んでいくと…
あれあれ。

秋田魁新報「内外の歴史」

民間放送ラジオ東北(現在の秋田放送)が開局、とあります。
そうか、秋田放送の開局記念日だったか!(←わざとらしい驚き)

そこで「あさヨミ」は、秋田放送の歴史を振り返ってお送りしました。
1953年(昭和28年)、当時、秋田市大町にあった秋田魁新報社に間借りして、放送が始まりました。
「ラジオ東北」という名の通り、まだラジオだけの放送でした。
ニュースや音楽番組もありましたが、特筆すべきはラジオドラマで、「放送劇団」という、いわば役者の集まりがあり、なんと生放送でドラマを放送していたのです。
しだいに放送時間も増えていき、昭和40年代にはラジオの「ワイド番組化」が進みました。
1時間、2時間、あるいはそれ以上の放送時間になり、音楽をかけながらアナウンサーの気軽なトークで番組を進行していくようになったのです。
午前は「サンサンモーニング」が、長い期間続き、塩田睦子アナウンサー、菅原真寿美アナウンサー、山後美奈子アナウンサーなどが担当しました。
これ「お知恵拝借番組」とも言うべきもので、リスナーの方から寄せられた暮らしの疑問・質問に、リスナーが電話で答える、という構成です。
たとえば「干し柿の作り方を教えてください」と紹介すると、あちこちから電話が来ます。
柿だけでも、渋のとり方など、いろんな回答が寄せられます。
ネットの質問箱などもちろんない時代でしたから、貴重な先人の「お知恵」でした。
回答をカードに記した、膨大なファイルが保管されています。

膨大なファイル

午後のワイド番組は「神永光のアフタヌーンエコー940」「ラジオワイド北緯40度 栁沼慎一ざっくばらん」など、その時々の人気アナウンサーが登場しました。
このときのコーナーのひとつに「赤ちゃんのうぶ声訪問」というのがありました。
病院、産院に録音機を持って伺い、生まれたばかりの赤ちゃんの声を聞かせるというもの。
少子化の今こそ、復活してほしいような番組ですが…
今のラジパルの先駆ともいうべきキャスタードライバー制度が始まったのも、この頃でした。
女性リポーターが運転と放送を兼ねて、各地から生の情報をお届けするものです。

秋田放送のテレビ放送は1960(昭和35)年に始まり、秋田のできごとや風物が、テレビで見られるようになりました。
ローカルニュースのワイド化が進んだのが1978(昭和53)年で、秋田放送では初の、30分にわたるローカルニュース「ワイドレーダーあきた」が始まりました。
初代は太田寿夫キャスターで、その後、神永光、栁沼慎一、鎌田昭一、菅原実、田村修井関裕貴の各キャスターが最新ニュースをお伝えする役割を担い、現在の「news every.」は、田村修ANが担当です。

話はラジオに戻りますが、昭和50年代には、正午から始まるリクエスト番組「まっぴる御免! 歌謡りくうえすと」が始まり、ワイド化がさらに進みました。

そして1983(昭和58)年5月26日の正午過ぎ、日本海中部地震が発生します。
ABSラジオはちょうど生放送中で、それから午後11時まで、震度や被害状況、交通機関や電気ガス水道の情報、男鹿に遠足に来ていた児童を津波が襲ったという情報も、逐一伝え続けました。
26日は木曜日で、ABSラジオは翌週に入っても、ワイド番組の中で地震関連の情報を伝えただけでなく「地震困りごと相談室」と題して、スタジオに県の建築住宅課、商工課の職員、税務署員などを迎え、家屋の補修や経営者への資金融資といった相談にも応じました。
暮らしに密着した情報こそがラジオの本領であるという意識を持って、放送にあたったのです。
それは2006(平成18)年の豪雪でも、2011(平成23)年の東日本大震災でも、同じでした。

64歳の誕生日を迎えた秋田放送、定年などとんでもない、まだまだ働き盛りで、皆さまの期待に応えてまいります。

…という話を「あさヨミ」でしていたら、時間をオーバーして9時8分になっていましたが、これを逃すと来年の11月まで話せなくなってしまうので、許してね。

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