【リレーブログ】忘れられない受験エピソード
私の大学受験は、大昔も大昔、昭和時代の1980年です。
寝台急行(なんのことかわからない若い人は調べてね)で上京し、
荒川区の親戚の家に泊まりこんで、入試を受けに行きました。
私は上京のときに、さっそくやらかしていました。
大学の受験票を、秋田の実家に忘れていったのです。
受験票を忘れても、大学の受付で高校の学生証などを出し
事情を話せば受験できることは知っていたので妙に冷静でしたが、
そこに偶然が重なります。
親父が出張で上京することになっていたので、持ってきてもらい、
受験票を持って試験を受けることができました。
試験から何日か後、合格発表を見に行きました。
今のようにホームページで発表するような時代ではなかったので、
大学に掲示されるのを、電車を乗り継いで見に行ったのです。
飯田橋駅で電車を降りると、駅から大学まで
発表を見に行く人波ができていました。
掲示を見るより先に合格者の受験番号を印刷した紙を渡していて、
それを受け取りました。
見ると、私の受験番号はありません。
「実家に知らせないとなあ」と思い、10円玉を入れる公衆電話
(なんのことかわからない若い人は、ご両親かおじいちゃんおばあちゃんに聞いてね)で、落ちていたと伝えました。
親戚の家に戻っても、しょんぼり。
合格者の番号を印刷した紙をもう一度見て、ふと、気づきました。
私が受験したのは、その大学の法学部。
法学部には法律学科と政治学科があって、私は政治学科を受けたのですが、
私が合格者番号を見て「ない」と思っていたのは法律学科の方だったのです。
部屋の中で飛び上がるくらい、驚きました。
おそるおそる政治学科の合格者を見ると…私の受験番号がありました。
学科を見まちがえていたのです。
ダイヤルを回してかける黒い電話(なんのことかわからない若い人は…以下略)で再度実家にかけ、「落ちたというのは間違いだった、合格した」と伝えました。
とにかく、こんなにいろいろしでかしていたのに、
ちゃんと合格させてくれた大学には、今でも感謝しています。
寄付の依頼が来れば、ささやかですが寄付していますし、
箱根駅伝も応援しています。
ここで、受験票の写真でもあればおもしろいんですが、
あまりに大昔で、写真がありませんでした。ごめんなさい。
受験の記憶がまだ鮮やかな酒井さんには
どんなエピソードがあるでしょうか。
※次回は酒井茉耶アナウンサーです。