【リレーブログ】冬支度
先日の冷え込んだ朝、
自分が抜け出した羽毛布団が丸まっているのを見て、ミノムシの抜け殻みたいだねぇと思いました。
冬の初めの、いつもの光景です。
私は愛媛県松山市の出身です。
アナウンサーになりたい!と各地の放送局の門を片っ端から叩いた私は、縁もゆかりもない秋田のABSから内定をもらい、この北国にやってきました。1991年、平成になってまだ3年目のことです。
そうでなければ、北東北で雪深い日本海側・秋田に住むことは、まずなかったでしょう。
小学校のころ社会科の教科書で見たのは、豪雪の横手の写真。雁木を作ってその下を歩き、玄関は雪で埋まっているから2階の窓から出入りする…そんな大雑把すぎる説明が、私の中の秋田のイメージすべてでした。
引っ越してきた3月のおわり。厚い雪雲が取れ、陽の光をまぶしく感じ始める頃です。
しかし、私の中では、「寒い」、「朝晩冷える!」…まだ冬だったのです。
春が近いのに、私は「冬支度(のようなこと)」をしなくてはなりませんでした。
北国に行くからと母が買ってくれた厚手のロングコート(重かった!室井さんみたいなやつ)を、4月になっても手放せず。当時のアパートにエアコンは標準装備でなかったので(あったとしても、なかなか暖気が出てこない!)、ファンヒーターを求めて、駅前のイトーヨーカドー(当時)の家電売り場へ。
売れ残りの、値の張る(予算オーバー泣)ハイカロリー石油ファンヒーターを強く勧められ、購入しました。
灯油は、車がないのでポリタンクを持って街の灯油販売店へ。
行きは良い良い、帰りは…腕がちぎれそう。
初の北国暮らしの「冬支度(春ですが)」は、暖房費がかかり腕も筋肉痛。
余計に寒さが身に沁みたことを思い出します。
そんな私が、せっかく採用したのに秋田から逃げないように…
と、思ったかどうかは分かりませんが(笑)、先輩たちが、美味いごはんで私を餌付け(言い方!)。
秋が来る頃には、冬場の寒さに対抗できるくらいの脂肪をしっかり身にまとっていました。
冬眠前のクマと同じです(笑)。―あれは、「冬支度」の教えだったんだ!
※秋田にきて驚いたのが、安い弁当までもお米がおいしかったこと!
秋田にきて半年が経過、10月です。
どうにか正社員になることができた私。
まず買ったのは、マイカー(もちろん中古)でした。春に苦労した灯油運びは懲り懲りだったのです。
だから、マイカー購入は、「冬支度」のひとつといえます。
当時は、社会人になったら自分の車を買って、彼女を載せてドライブ~
な~んて風潮があったので、若かった私には、ごく自然のことでもあります。
中古車購入資金は、何十回分割だったか忘れましたが、銀行でローンを組みました。初借金!
当時の金利は…7%くらいだったか、結構高い金利でしたねえ。
さらにかさむ車の「冬支度」、
スタッドレスタイヤと冬用ワイパーを買うお金も寄せておかねばならないことに、後で気づきました。
・・・あれ、本当の冬の前までの話で、結構な字数になっていますね。
まだまだ続きがあるのですが、それはまたいつかお話しすることにしましょう。
井関裕貴の「冬支度~第1章」は、この辺で。
次回は、生粋の秋田っ子、賀内アナウンサーの「冬支度」です。