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番組審議会リポート|
PROGRAM COUNCIL REPORT

第648回秋田放送番組審議会リポート

第648回番組審議会が4月23日に秋田放送で開かれました。合評番組は「世界自然遺産登録30周年 世界でただ一つ 特別なブナの森」でした。

委員からは
映像がきれいな番組だな、というのが第一印象。番組が始まってすぐ、ドローンを使った上空からの映像で、人間は自然の中で生かされている、ということを感じることができた。番組の中に、同じ世界自然遺産の屋久島が登場したが、木道や展望デッキなどがきちんと整備されていて、翻って白神山地はどうなのだろうか、ということを考えさせられた。

案内役として出演したフリーアナウンサーのコメント力の高さに感銘を覚えた。「縄文人とつながっている」「山に抱かれ、自然と一体になっている」などの表現がとても面白かった。

白神の自然の中で見たもの、感じたものを、五感を通じて言語化していた。「優しい森の広さ」「杉が1本もない自然の森」「3000年前に縄文人が見た風景」など、感じたことを言語化していく営みを積み重ねることで、白神の魅力はもっと世界共通のものとして広がっていくのではないか、と感じた。

自分は高校生時代に山岳部だったが、苦しいことばかりで山登りにはいい思い出がなく、周りの人たちが山に登る、と言っていても登ってみようという気持ちはなかった。しかし、この番組を見ていて、こんなに美しい風景が身近にあることを知り、訪れてみたいという気持ちになった。フリーアナウンサーが紹介なく流れの中で登場したことに違和感は覚えたが、番組を見るとき、構成や表現など細かなことを気にするよりも、見ている人の気持ちを動かすこと、行動へと駆り立てることが大切なのではないかと思った。

白神山地の価値と魅力がわかりやすく表現されていた。制作者が自分でカメラを回しながら撮ったという映像を見ながら、自分も一緒にブナの森の中を歩いているような臨場感を覚えた。

フリーのアナウンサーは番組途中から登場し、屋久島でも登場していたが、そのことに混乱を覚えていた。彼女が番組の最初から最後まで、ナビゲーターとなっていれば、番組は非常にわかりやすいものになったと思う。また、屋久島のシーンの比重が大きすぎはしないか、などとも感じていた。しかし、山が嫌いだったという委員が、番組を見て白神山地に登ってみたくなった、という発言を聞き、考えさせられた。作品は完成度が全てではない。見た人の心を動かせるか、そこが一番大切であり、それは制作者自身が楽しんでいることや作り手の想いが画面に現れている事なのではないか。たとえその思いに引きずられて番組の構成が乱れるようなことがあっても、思いや躍動感が画面に表れていればそうした欠点は消し飛んでしまうものなのかもしれない。 といった意見が上がりました。

第647回秋田放送番組審議会リポート

第647回番組審議会が3月18日、秋田放送で開かれました。
合評番組は「幾月夜纏ひて ~羽後町・西馬音内の盆踊」でした。

委員からは
西馬音内盆踊りというものが単なる観光イベントではなく、地域でこれまで暮らしてきた方たちを悼みながら、代々つながれてきたものだというのが全体で感じられた。コロナ禍で祭りが中止された中、自然に広がった踊りの輪に本来の盆踊りを見た気がした。

端縫いの衣装を母から娘に受け継いでいくシーンが一番好きだった。高価で買えない衣装を娘に着せたいという強い思い、それを受け継いで踊る娘の、先祖と一緒に踊っている気がするという一言に、衣装を纏う、思いを纏う、というこの番組のタイトルの深さを感じた。

ナレーションで「気がかりな中学生」という表現が出てきたが、これは不良などのマイナスなイメージがある。「気にかけている中学生」でも良いのでは。また、地口の歌詞には昔から性的な描写が含まれているが、これは現代であればセクハラととらえられてしまうかもしれない。この表現を取り上げることは難しいなと思った。

地口に含まれる性的な表現について、一般の宴会などで披露されれば完全にセクハラに当たる内容だが、時代背景を持つ文化と考えると言葉の一部をカットするようなわけにはいかないだろう。発表するときにどこまで出すか出さないかの問題。この番組については、損害賠償を生ずるような内容ではなく、裁判になっても負けることはないと思われる。

世の中が目まぐるしく変わっていく今、後世に伝えなければならないことがたくさんあると感じた。西馬音内の人たちは8月の盆踊りのためにいろいろな活動をしていて、盆踊りの3日間のために1年を過ごしていることが番組を通じて良く分かった。

全編を通じて非常に多くの人たちが登場したが、西馬音内の盆踊りはこういう方たちが力を合わせてやっている、みんなの力が集まって出来上がっているのが盆踊りだ、ということを感じた。また、踊りで故人を追悼する中で先祖や師匠といった人物も出てきて、祭りを受け継いでいくという流れがうまく表現されていたと思う。

エロティシズムという問題に関して言えば、祭りというのはそもそも性的なものであって、不愉快だと思う人がいれば全てハラスメントになるのか、あるいは、そういうものではない、ということを説明する余地があるのかは、これからの大きな問題になっていくと思う。
といった意見がありました。

第646回秋田放送番組審議会リポート

第646回番組審議会が2月29日、秋田放送で開かれました。
合評番組は「貞蔵さんの割れた尺八 ~シベリア抑留1000日 命を紡いだ尺八と民謡~」でした。

委員からは
過去の貴重な映像の数々から、戦後の秋田民謡が隆盛するさま、民謡王国と謳われた理由がよく分かった。同時にコロナ禍を経て、民謡を生業としている人の苦労・葛藤が描かれていた。民謡が廃れ行き、このままなくなってしまうのは寂しい。生き残りのために何かできることがあれば協力したい。

唸る尺八。冒頭の演奏シーンで慄えを覚えた。藤丸貞蔵の人生を取り上げつつ、番組には多くの登場人物が存在する。茂木空さんが貞蔵と同じ年ごろでプロ歌手を目指す。三味線奏者・浅野修一郎さんは秋田民謡長期低落の現状・将来への不安を抱え、貞蔵の過去の苦境に重なる。登場人物3人がそれぞれ同期して成立させていた。

高橋優のナビゲーターはよかった。メッセージ色が強い高橋優の歌と貞蔵の尺八に込められた悲しみや怒りはシンクロしている。民謡は民族のアイデンティティ。なくなってしまうのか、どのようにして未来へつなげるのか。考えさせられる番組だった。

シベリア抑留から帰ってきた元兵士に対し、レッドパージがあったことを初めて知った。大変な苦労を強いられやっと帰国したかと思えば共産主義者のレッテルを貼られ、いわれのない差別を受けた。この人たちはどれだけの苦悩を抱えていたのか。シベリア抑留者の証言は重く、短い尺での紹介は勿体なかった。

貞蔵の人生だけではなく、今を生きる民謡関係者のエピソードが細切れにはさまれていて、いまひとつ物語に集中できなかった。情報も多く、内容の交通整理が必要ではないか。

所々で紹介される貞蔵の手記に興味をひかれた。映像で見せてほしかった。番組には多くの内容が盛り込まれており、構成が難しかっただろう。また、ウクライナの戦場シーンはなくてもよかったのでは。

民謡とは作業唄であり民の歌。民がいなくなったら、仕事がなくなったら、民謡は消滅するのか。伝統芸能でもないため守る義務もない。しかし自然に任せてこのまま放置していいのか。そうしたはざまに立脚している番組だ。制作者が身内だからこそ、手記の紹介など重要な素材が提示されるなど、番組にパワーを与えていた。

なぜこのタイトルになったのか。多くの問題提起が焦点を拡散させてしまった感がある。民謡のほかに、茂木さんからは労働の、浅野さんからは事業承継の問題が垣間見える。それぞれがひとつの番組となりうる要素が重なり合い、それに加え貞蔵の人生を追うことで、戦前から現在に至る時間軸の行き来もある。多くの要素が盛り込まれているが、そこで得られる効果と損なわれる効果がある。その視点で再度の検証が必要ではないか。総花的な展開から、深堀りする展開を望む。今日の意見を参考にして、ぜひもう一度作り直してみてほしい。 といった意見がありました。