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番組審議会リポート|
PROGRAM COUNCIL REPORT

第659回秋田放送番組審議会リポート

第659回番組審議会が5月29日に開かれました。合評番組は「ABS news every.+ 消えゆく県魚~ハタハタを追う~」でした。

委員からは
ハタハタが少なくなっている、というのは度々聞くことだったが、ここ数年で急激に減っていることを番組を通して確認した。地球全体の温暖化が止められない中でどうやって現実に折り合いをつけていくのか。漁師が減ってきている中で秋田の漁業をつなぐためにどうしたらいいのか、という部分にも触れて欲しかった。

タイトルになっている「県魚(ケンギョ)」という言葉だが、県に問い合わせたところハタハタについては「県の魚(サカナ)」と呼んでいるとのことだった。

映像を通じて、ハタハタが取れないことによる漁師たちのいら立ちや焦り、あきらめも混じったような何とも言えない様子が伝わってきた。ハタハタという魚が特別な魚なんだということが良く分かった。番組の終わりに一人の漁師が言った「ハタハタの生命力に懸けるしかない」という一言が、祈るような思いやハタハタへの愛情を表現していて、とても感慨深かった。

ハタハタの漁獲量が減る理由として「レジームシフト・生態系の構造転換」というものが挙げられていた。これに対応して資源量を増やすために禁漁期間が設けられた、ということだったが、これが現在の話ではなく過去の話だったことで、取れなくなった理由と時間軸が行ったり来たりしている印象があった。録画を繰り返し見ることで理解できたが、1回しか見ていない人はどう感じたのだろうか。

番組を見ていて、漁師の気持を考えると心が苦しくなってきた。冒頭で、家にやってきたなまはげのお膳にハタハタが出ていたり、子供がおいしそうに食べている映像から、ハタハタが愛されている存在なのが伝わってきた。そのハタハタが激減している。「来年はきっと来るはず、大丈夫」と自分に言い聞かせるように語る漁師の一言に胸が痛くなった。漁師という仕事に対する明るい展望や対策といったものも示してほしかった。

ハタハタの漁獲状況をグラフで表したり、日本海側の各県の対策を地図に落とし込んだりといった、見せる工夫がされていて良かった。

昨シーズンの総漁獲量93トンに対して今シーズンが2トンという、驚くような激減ぶりが生々しく強烈に伝わってきた。この状況にどう対応すればいいのか、多くの人に真剣に考えてもらうためには、下手に明るい希望で終わらなかったことが良かったのかもしれない。今後行われるそうした議論に応えるためにも、この問題には継続的に取り組んでいって欲しい。
といった意見が上がりました。

第658回秋田放送番組審議会リポート

第658回番組審議会が4月22日に開かれました。合評番組は「ABSラジオスペシャル マタギの森」でした。

委員からは
狩猟の季節、マタギはただ山におもむろに入って銃でバンバンと獲物を撃つのではなくその前に儀式があって、神社にお参りに行き、山に入る時に植物の枝葉をいぶしその枝葉で全身を清める、それでけがれを払うことになり魔よけの効力になる、など、今回ラジオを聴いて初めて知ることができた。

自然の中の鳥の鳴き声や、マタギの伝統的な道具を作る鍛冶屋さんの音など、各場面の音がとてもきれいに聞こえていた。音だけでも映像が浮かんでくるようだった。地域に伝わる番楽では子供たちのインタビューなどもあり、昔ながらの営みが続いていることが伝わってきた。

近年問題となっているクマの生活空間への出没とそれに伴う有害駆除が、本来のマタギの精神とは全く異なる作業であり嫌だ、駆除のために鉄砲を持ったわけではない、というマタギの人たちの気持が語られていた。襲われてケガをした人も登場していた。駆除に携わっている方たちの負担というものを軽々しく考えてはいけない、と感じた。

「マタギの森」というタイトルにふさわしく、森の音が素晴らしい作品だった。常に新しい場面の前には森の音が入っていて、季節を感じさせてくれた。言葉によらず表現されているものがたくさんあった。ただ、鍛冶職人の場面は仕事ぶりを見たことがないので想像することができず、映像が見たいな、という気持ちになった。こんな動作をしている、などの説明があったほうが良かったのではないか。

マタギをテーマにしたラジオの1時間番組、ということで最後まで聞き通すのは大変ではないか、と思っていたが、臨場感のある音や、有害駆除とマタギ文化の違い、そしてマタギの生活ぶりや思いなどが紡がれていて、あっという間の1時間だった。秋田県のクマの有害駆除に関する基本的な考え方というものに、山からの授かりものをいただく、というマタギの伝統が参考になるのではないか、と感じた。

マタギの人たちは言葉の訛りが強く,言っていることがわかりにくい場面がいくつもあった。しかし、近くにクマがいるかもしれない場所でマタギ同士が声を潜めて何かを話し合っている場面、これは何を言っているのかわからなくてもいいのではないか、と思ってしまった。臨場感、リアリティという観点からすると、あの緊迫した空気さえ伝わればいい。もしかしたら、何を言っているかわからないリアルさがより想像を掻き立てる、というラジオの新たな可能性が秘められていたのではないか。
といった意見が上がりました。

第657回秋田放送番組審議会リポート

第657回番組審議会が3月24日に開かれました。合評番組は「100周年のトライ ~秋田高校ラグビー部の軌跡~」でした。

委員からは
花園に6回出場しているという秋田高校ラグビー部の輝かしい歴史と共に、部員不足の中でなんとか試合に出たいと悪戦苦闘する現役の部員たちの頑張りが良く伝わってくる番組だった。ただ、これは秋田高校ラグビー部に限ったことではないが、少子化で学生スポーツのあり方が変わっている中、過去の栄光からくるイメージを投影することは子供たちに過度なプレッシャーを与えることになりはしないか、ということも考えてしまった。

花園に向けてバレーボール部から助っ人を2人借りて練習した時、キャプテンが「人数がそろっているだけで楽しさが倍増します」と語っていたのが印象的だった。15人でするスポーツを15人でできる、当たり前のことがそれほど楽しい、それだけラグビーが好きなんだな、という素直な思いが伝わってきた。

涙なしでは見られない、心打つ番組だった。高校生のすがすがしさ、キャプテンのリーダーシップや賢さに心を奪われてしまった。メンバーがそろわずに出られなかった試合で運営を手伝っている姿から、どんなに試合がしたかっただろう、悔しかっただろう、という部員たちの気持ちが伝わってきた。また、経験のない助っ人選手が、足を引っ張りたくない、と頑張る姿に心を動かされた。スポーツっていいなぁ、若いっていいなぁ、と素直に思わせてくれる番組だった。

創部100年という節目の年の現役部員の姿と、そこに100年の歴史がうまく織り込まれていて、バランスよく構成されていた。このバランスを支えているのは、昭和42年、58年前の花園初出場の試合映像を自前で持っていて自在に使えるという事実であり、これは秋田放送の強みだと思う。テレビ放送を開始して7年目に撮影していた、という歴史の持つ力を感じた。

カメラアングルがとても工夫されている、と感じた。部員たちが砂埃を上げながら練習しているシーンを夕日越しのシルエットでとらえたり、最後の試合が終わった後、ゴールポストに太陽が当たっているのを見上げるようなアングルでとらえたり、とても美しい映像がちりばめられていて、これらの映像が番組のコンセプトや部員たちの想いなどを、言葉によらずに雄弁に語っていた。

人数不足で部活がなかなか成立しない、というのは以前にも取り上げられていたテーマで、大きな課題だと思う。学生スポーツをこれからどうしていくのか、ということは改めて別の番組で取り上げて、深掘りしてもらいたいと思う。
といった意見が上がりました。