秋田分校 へばまんつ
へろー せきむかいです。
年の瀬を迎えました。ことしはどんな話をして年を越しましょうか。
新年がやってきますねえ。
そういえば、年があけると、わたしの母校の小学校が閉校します。
わたしが小学5年になるときに、男鹿市の4つの小学校が統合してできた学校です。
先日、最後のABSアナウンサー読み聞かせ隊としてお邪魔してきました。
少子高齢化に伴う閉校が相次ぐ中、
この冬、秋田のとある“分校”も、門を閉めました。
「私立恵比寿中学秋田分校」です。
2014年、今から10年前。
私はアナウンサー1年生として秋田に帰ってきました。
「関向さ、私立恵比寿中学って知ってる?」
秋田分校で長らく”用務員さん”として親しまれた佐々木さん(故人)に
そう声をかけてもらったのが、私とえびちゅうのご縁のスタートでした。
この年、ABSも関わった映画に、当時のメンバー=ぁぃぁぃこと廣田あいかさんが
出演したことをきっかけに、初めてえびちゅうを「ABSまつりのゲスト」として
お迎えしました。
私はそのときのステージMCも担当したのですが、
用務員さんが、次年度以降開催することになる「秋田分校」を念頭に置いて
采配してくれたのかどうか、今となってはもう分かりません。
ただの偶然だったのかもしれませんが、おかげで私は、
えびちゅうが初めて秋田でフリーライブを行ったそのときから、
メンバーのみなさんとご一緒させてもらいました。
翌2015年に始まった「秋田分校」には、
“会場の様子を伝えるリポーター“として、毎年参加させてもらいました。
こちらは、初めての秋田分校を迎える前の、私物資料です。
まだまだメンバーのことも知らず、公式サイトでプロフィールを調べて、メモして
なんとか頭に入れようとしたんですよねえ。
回数を経て徐々に規模が大きくなっていった秋田分校では、
秋田の佐竹知事がステージに上がり、
直々にえびちゅうを観光大使に任命されたこともありました。
“あきた美の国ガールズ”、何度でも口にしたくなる響きです。
そして今年、そんな秋田分校がフィナーレを迎えました。
様々な事情から開催を控える流れもあったようですが、
出演者の皆さんからの温かいご協力を受けて
「フィナーレ」として執り行うことが叶いました。
この場をお借りして、今年の、
そしてこれまでの秋田分校に携わってくださった全ての皆さんに
心からお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました。
今年の秋田分校は、“分校”らしく、例年よりも小規模での開催となりました。
ですが、例年通りに、
いやそれ以上に、思いのこもったライブだったと思います。
ゲストの皆さんが揃って「用務員さんの思い出」を振り返り、
歌いながら涙をこぼす方もいました。
ステージ袖からは、ファミリーの皆さんが同じように涙をぬぐう様子も見えました。
改めて、皆さんがどれだけ「秋田分校」を大切にしてくれていたかを知りました。
秋田分校は”一旦”フィナーレとなりましたが、
またいつか、秋田で開校する日がくるかもしれません。
いぎなり東北産のかれんくん(橘 花怜さん)が言ってくれた「秋田本校」!
力強いことばに、思わず背筋が伸びました。
用務員さーん いつも腰をさすりながら年の瀬を迎えていた用務員さーん
秋田分校は、閉校の瞬間まで、たくさんの愛に包まれていましたよー
だって、ご出演くださった皆さんも、ファミリーの皆さんも、
「へばまんつ!」と、“次”を信じて笑顔で門を出ていきましたからね!
知ってました?この言葉、1回目の秋田分校からずーーーっと、
公演の最後に言い続けている言葉なんです。
さて、来年はどんな話題で笑い声を響かせましょうか。
とりあえずは、いつかの“10回目の秋田分校”を信じる合言葉として
大きな声で言っときましょうか。
それでは きょうは 今回は ことしは この辺で。
へばまんつ!