番組審議会リポート|
PROGRAM COUNCIL REPORT
第658回番組審議会が4月22日に開かれました。合評番組は「ABSラジオスペシャル マタギの森」でした。
委員からは
狩猟の季節、マタギはただ山におもむろに入って銃でバンバンと獲物を撃つのではなくその前に儀式があって、神社にお参りに行き、山に入る時に植物の枝葉をいぶしその枝葉で全身を清める、それでけがれを払うことになり魔よけの効力になる、など、今回ラジオを聴いて初めて知ることができた。
自然の中の鳥の鳴き声や、マタギの伝統的な道具を作る鍛冶屋さんの音など、各場面の音がとてもきれいに聞こえていた。音だけでも映像が浮かんでくるようだった。地域に伝わる番楽では子供たちのインタビューなどもあり、昔ながらの営みが続いていることが伝わってきた。
近年問題となっているクマの生活空間への出没とそれに伴う有害駆除が、本来のマタギの精神とは全く異なる作業であり嫌だ、駆除のために鉄砲を持ったわけではない、というマタギの人たちの気持が語られていた。襲われてケガをした人も登場していた。駆除に携わっている方たちの負担というものを軽々しく考えてはいけない、と感じた。
「マタギの森」というタイトルにふさわしく、森の音が素晴らしい作品だった。常に新しい場面の前には森の音が入っていて、季節を感じさせてくれた。言葉によらず表現されているものがたくさんあった。ただ、鍛冶職人の場面は仕事ぶりを見たことがないので想像することができず、映像が見たいな、という気持ちになった。こんな動作をしている、などの説明があったほうが良かったのではないか。
マタギをテーマにしたラジオの1時間番組、ということで最後まで聞き通すのは大変ではないか、と思っていたが、臨場感のある音や、有害駆除とマタギ文化の違い、そしてマタギの生活ぶりや思いなどが紡がれていて、あっという間の1時間だった。秋田県のクマの有害駆除に関する基本的な考え方というものに、山からの授かりものをいただく、というマタギの伝統が参考になるのではないか、と感じた。
マタギの人たちは言葉の訛りが強く,言っていることがわかりにくい場面がいくつもあった。しかし、近くにクマがいるかもしれない場所でマタギ同士が声を潜めて何かを話し合っている場面、これは何を言っているのかわからなくてもいいのではないか、と思ってしまった。臨場感、リアリティという観点からすると、あの緊迫した空気さえ伝わればいい。もしかしたら、何を言っているかわからないリアルさがより想像を掻き立てる、というラジオの新たな可能性が秘められていたのではないか。
といった意見が上がりました。
第657回番組審議会が3月24日に開かれました。合評番組は「100周年のトライ ~秋田高校ラグビー部の軌跡~」でした。
委員からは
花園に6回出場しているという秋田高校ラグビー部の輝かしい歴史と共に、部員不足の中でなんとか試合に出たいと悪戦苦闘する現役の部員たちの頑張りが良く伝わってくる番組だった。ただ、これは秋田高校ラグビー部に限ったことではないが、少子化で学生スポーツのあり方が変わっている中、過去の栄光からくるイメージを投影することは子供たちに過度なプレッシャーを与えることになりはしないか、ということも考えてしまった。
花園に向けてバレーボール部から助っ人を2人借りて練習した時、キャプテンが「人数がそろっているだけで楽しさが倍増します」と語っていたのが印象的だった。15人でするスポーツを15人でできる、当たり前のことがそれほど楽しい、それだけラグビーが好きなんだな、という素直な思いが伝わってきた。
涙なしでは見られない、心打つ番組だった。高校生のすがすがしさ、キャプテンのリーダーシップや賢さに心を奪われてしまった。メンバーがそろわずに出られなかった試合で運営を手伝っている姿から、どんなに試合がしたかっただろう、悔しかっただろう、という部員たちの気持ちが伝わってきた。また、経験のない助っ人選手が、足を引っ張りたくない、と頑張る姿に心を動かされた。スポーツっていいなぁ、若いっていいなぁ、と素直に思わせてくれる番組だった。
創部100年という節目の年の現役部員の姿と、そこに100年の歴史がうまく織り込まれていて、バランスよく構成されていた。このバランスを支えているのは、昭和42年、58年前の花園初出場の試合映像を自前で持っていて自在に使えるという事実であり、これは秋田放送の強みだと思う。テレビ放送を開始して7年目に撮影していた、という歴史の持つ力を感じた。
カメラアングルがとても工夫されている、と感じた。部員たちが砂埃を上げながら練習しているシーンを夕日越しのシルエットでとらえたり、最後の試合が終わった後、ゴールポストに太陽が当たっているのを見上げるようなアングルでとらえたり、とても美しい映像がちりばめられていて、これらの映像が番組のコンセプトや部員たちの想いなどを、言葉によらずに雄弁に語っていた。
人数不足で部活がなかなか成立しない、というのは以前にも取り上げられていたテーマで、大きな課題だと思う。学生スポーツをこれからどうしていくのか、ということは改めて別の番組で取り上げて、深掘りしてもらいたいと思う。
といった意見が上がりました。
第656回番組審議会が2月18日に開かれました。合評番組は「ABSラジオスペシャル 見えない病」でした。
委員からは
高次脳機能障害を抱えながらシンガーソングライターとして活動する大川ちさとさんの歌や率直なインタビューを通じて、障害を抱える人がどんな思いで日常を過ごしているのか、どんなサポートを必要としているのか、などがわかりやすく伝わってきた。
「高次脳機能障害」という言葉の発音、特にイントネーションや言葉の区切り方が発言する人ごとに違っていて、気になった。言葉自体が定着していない、イコール理解が進んでいない、ということなのだろうか。
大川さんが、白血病から脳梗塞、そして高次脳機能障害を持つことになった経緯がわかりやすく伝わってきた。そして、感情が不安定だったり時間を守れなかったりといったことで、周囲から誤解されていた中、「障害と診断されてほっとした」という言葉に苦悩の大きさが凝縮されていたと思う。
普段ラジオを聞かないため、1時間のラジオ番組を聞くことはかなり大変だった。しかし、集中して聞いてとてもいい番組だと思った。番組には4つの曲がうたわれていたが、曲ごとに4回に分けて放送してもらえればラジオになじみのない人にもわかりやすかったのではないか。
自分の障害を隠すことよりも、周囲にさらけ出してできないことは助けてもらう、という発想もあるのだな、と思った。歌っている曲の歌詞をネットで検索し文字で見たら、まさに自分をさらけ出している曲だった。しかし、暗さはあまり感じず、希望のある、心に残る曲だった。いろいろと考えさせられる番組だった。
番組で伝える内容と大川さんが歌う歌詞とがピシッと合っていて、聞く人にインパクトを与えながら伝えることができていた。また、病院で緊急処置を受けるためにストレッチャーにのせられたとき、縁起物のカエルが入った額縁が割れてしまった場面をお母さんが語るシーンなどは、頭の中に映像が浮かんできて心に迫るものがあった。ラジオならではの効果だったと思う。
番組を聞いていて、障害とはなんだろうか、ということを考えさせられた。障害は個性だ、という見方もあるが、ならば支援はいらないよね、という風に独り歩きしてしまいかねない。また、我々も皆いずれは歩けなくなったり認知症になったりして支援が必要になってくる。また、性格だって不安定な部分、暴力的な部分などは人間だれしも多かれ少なかれ持っている。そうした、障害とは何か、支援とは何か、人間とは何か、という重い問いを突き付けて来る番組だった思う。
といった意見が上がりました。