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番組審議会リポート|
PROGRAM COUNCIL REPORT

第647回秋田放送番組審議会リポート

第647回番組審議会が3月18日、秋田放送で開かれました。
合評番組は「幾月夜纏ひて ~羽後町・西馬音内の盆踊」でした。

委員からは
西馬音内盆踊りというものが単なる観光イベントではなく、地域でこれまで暮らしてきた方たちを悼みながら、代々つながれてきたものだというのが全体で感じられた。コロナ禍で祭りが中止された中、自然に広がった踊りの輪に本来の盆踊りを見た気がした。

端縫いの衣装を母から娘に受け継いでいくシーンが一番好きだった。高価で買えない衣装を娘に着せたいという強い思い、それを受け継いで踊る娘の、先祖と一緒に踊っている気がするという一言に、衣装を纏う、思いを纏う、というこの番組のタイトルの深さを感じた。

ナレーションで「気がかりな中学生」という表現が出てきたが、これは不良などのマイナスなイメージがある。「気にかけている中学生」でも良いのでは。また、地口の歌詞には昔から性的な描写が含まれているが、これは現代であればセクハラととらえられてしまうかもしれない。この表現を取り上げることは難しいなと思った。

地口に含まれる性的な表現について、一般の宴会などで披露されれば完全にセクハラに当たる内容だが、時代背景を持つ文化と考えると言葉の一部をカットするようなわけにはいかないだろう。発表するときにどこまで出すか出さないかの問題。この番組については、損害賠償を生ずるような内容ではなく、裁判になっても負けることはないと思われる。

世の中が目まぐるしく変わっていく今、後世に伝えなければならないことがたくさんあると感じた。西馬音内の人たちは8月の盆踊りのためにいろいろな活動をしていて、盆踊りの3日間のために1年を過ごしていることが番組を通じて良く分かった。

全編を通じて非常に多くの人たちが登場したが、西馬音内の盆踊りはこういう方たちが力を合わせてやっている、みんなの力が集まって出来上がっているのが盆踊りだ、ということを感じた。また、踊りで故人を追悼する中で先祖や師匠といった人物も出てきて、祭りを受け継いでいくという流れがうまく表現されていたと思う。

エロティシズムという問題に関して言えば、祭りというのはそもそも性的なものであって、不愉快だと思う人がいれば全てハラスメントになるのか、あるいは、そういうものではない、ということを説明する余地があるのかは、これからの大きな問題になっていくと思う。
といった意見がありました。

第646回秋田放送番組審議会リポート

第646回番組審議会が2月29日、秋田放送で開かれました。
合評番組は「貞蔵さんの割れた尺八 ~シベリア抑留1000日 命を紡いだ尺八と民謡~」でした。

委員からは
過去の貴重な映像の数々から、戦後の秋田民謡が隆盛するさま、民謡王国と謳われた理由がよく分かった。同時にコロナ禍を経て、民謡を生業としている人の苦労・葛藤が描かれていた。民謡が廃れ行き、このままなくなってしまうのは寂しい。生き残りのために何かできることがあれば協力したい。

唸る尺八。冒頭の演奏シーンで慄えを覚えた。藤丸貞蔵の人生を取り上げつつ、番組には多くの登場人物が存在する。茂木空さんが貞蔵と同じ年ごろでプロ歌手を目指す。三味線奏者・浅野修一郎さんは秋田民謡長期低落の現状・将来への不安を抱え、貞蔵の過去の苦境に重なる。登場人物3人がそれぞれ同期して成立させていた。

高橋優のナビゲーターはよかった。メッセージ色が強い高橋優の歌と貞蔵の尺八に込められた悲しみや怒りはシンクロしている。民謡は民族のアイデンティティ。なくなってしまうのか、どのようにして未来へつなげるのか。考えさせられる番組だった。

シベリア抑留から帰ってきた元兵士に対し、レッドパージがあったことを初めて知った。大変な苦労を強いられやっと帰国したかと思えば共産主義者のレッテルを貼られ、いわれのない差別を受けた。この人たちはどれだけの苦悩を抱えていたのか。シベリア抑留者の証言は重く、短い尺での紹介は勿体なかった。

貞蔵の人生だけではなく、今を生きる民謡関係者のエピソードが細切れにはさまれていて、いまひとつ物語に集中できなかった。情報も多く、内容の交通整理が必要ではないか。

所々で紹介される貞蔵の手記に興味をひかれた。映像で見せてほしかった。番組には多くの内容が盛り込まれており、構成が難しかっただろう。また、ウクライナの戦場シーンはなくてもよかったのでは。

民謡とは作業唄であり民の歌。民がいなくなったら、仕事がなくなったら、民謡は消滅するのか。伝統芸能でもないため守る義務もない。しかし自然に任せてこのまま放置していいのか。そうしたはざまに立脚している番組だ。制作者が身内だからこそ、手記の紹介など重要な素材が提示されるなど、番組にパワーを与えていた。

なぜこのタイトルになったのか。多くの問題提起が焦点を拡散させてしまった感がある。民謡のほかに、茂木さんからは労働の、浅野さんからは事業承継の問題が垣間見える。それぞれがひとつの番組となりうる要素が重なり合い、それに加え貞蔵の人生を追うことで、戦前から現在に至る時間軸の行き来もある。多くの要素が盛り込まれているが、そこで得られる効果と損なわれる効果がある。その視点で再度の検証が必要ではないか。総花的な展開から、深堀りする展開を望む。今日の意見を参考にして、ぜひもう一度作り直してみてほしい。 といった意見がありました。

第645回秋田放送番組審議会リポート

第645回番組審議会が12月11日(月) に秋田市のホテルメトロポリタン秋田で開かれ、今年1年間の番組審議会を振り返っての総評が行われました。

委員からは
取材対象者との関係の積み重ね、継続性、つながりがベースとなって制作された番組が印象的だ。番組は一朝一夕には作れるものではなく、継続性を維持するのも簡単ではない。
取材対象者との信頼関係があるからこそ実現できているのだと思う。
また、バラエティ番組では工夫があって、秋田関連の新しい人材(タレント)を発掘していた。

以前と比べて自分のテレビ視聴時間は減っている。しかし毎月合評番組を見るたびに学びや気づきがあったり、やさしさが伝わったりする。今はSNS全盛だが、テレビやラジオのメディアとしての信頼性は高い。1回の放送では勿体ないので、良質な番組をオンデマンドで視聴できるような仕組みがあればいい。

番審の合評番組を見ていると、採算性より、ABSのプライドや矜持を優先して制作されているように感じる。コストパフォーマンスが高いことは大事だが、両立は簡単ではないのだろう。近頃SNSの動画を見ることも増えたが、番組審議会の合評番組はSNSより心に残る。ABSには頑張って今のスタイルを貫いていきながら、ABSだからこそできる番組を作っていってほしい。そうすれば自ずと道は拓け、今後も関心を持ち続けられるのではないか。

五城目町の馬場目ベース10年の歩みを取り上げた番組は希望を感じることができて良かった。伝統の維持に奮闘している竿燈会の皆さんを描いた姿も印象に残っている。百キロマラソンも、毎回様々な人間ドラマに心動かされる。一方でバラエティ番組を批評することは自分にとっては難しい。しかし、番組を見ることで無関心だった事柄に新たな興味が湧いたり、知識を得ることができる。テレビのメディアとしての役割はそういうところにあると思う。
以前、小田野直武、藤田嗣二などを扱ったドキュメンタリーや、古四王神社をテーマにした番組があった。重厚感ある番組をまた見たいものだ。

制作者の意図をいかに視聴者に伝えるか、というレベルが年々上がってきている。制作者の番組説明でもそれを感じる。若い人も増え、伝えたいことが以前に増してクリアになっているのだろう。構成・演出・編集の工夫があり、わかりやすく伝えるために、頭をひねって制作していると想像する。せっかくいい番組を作っているのだから事前に番組内容を全社員規模で広報・営業するような体制になることをお勧めしたい。

クリエイターにとって、生成AIの脅威が論じられているが、生成AIの情報とは、ネット上にあるものだ。ネットでカバーできない創造物や情報や知識はたくさんある。その生成AIの盲点を見逃さず、自分なりに研究することが大切。放送や番組もその点を意識することがこれからの創作のヒントになるのではないか。 といった意見がありました。
このほか、SNSと番組の連携、海外に向けての発信、社内放送現場の人的交流などについて話し合われました。