【戦後80年】400人余りの中国人労働者が犠牲に「花岡事件」を風化させない 市民サークルによる学習会 秋田・大館市

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秋田 2025.06.27 18:09

太平洋戦争末期、大館市に強制連行された400人余りの中国人労働者が犠牲になった花岡事件から、間もなく80年です。

事件の風化を防ぎたいと、大館市の市民サークルが、朗読や講演による学習会を開きました。

学習会には、約70人が参加しました。

「かんかんでりの空の下で、コウたち中国人は、ひとしずくの水も食べ物も与えられず、殴られ、蹴とばされ続けました。そのため、死ぬものがバタバタと出ました」

太平洋戦争末期の1945年、6月30日に発生した花岡事件。

旧花岡町に強制連行されていた中国人労働者が、過酷な労働や劣悪な生活環境に耐えかねて一斉に蜂起。

しかし、弾圧され、400人余りが犠牲になりました。

「悲惨な歴史を風化させてはならない」と、大館市の市民サークルが開いた学習会。

講師を務めたのは、花岡事件の調査研究や犠牲者の慰霊を続けている、齋藤光雄さんと庄司時二さんです。

花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会 齋藤光雄 代表
「信じがたいほどの過激な虐待。ついに中国人たちは耐えかねて『人間の尊厳を守る』ために一斉蜂起したのであります」
「石を投げて抵抗するが、石ですね。恐らく持っていた物は途中で体が弱って、もう置いて来たのか分かりませんけど、石を投げて抵抗したと。多勢に無勢ということで、全員が捕らえられて」

花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会 庄司時二 事務局長
「強制連行が分かるような言葉は使うなと。政府も企業もできるだけ隠したい」
「だから教科書から消えたんだ」
「町長さんはそれをはねのけて殉難烈士という言葉を使った」

花岡事件から80年となる30日は、大館市で慰霊式が行われます。