土崎空襲から80年 戦争の記憶を次の世代へ
日本最後の空襲のひとつ土崎空襲から80年です。秋田市では犠牲者を追悼する式典が行われ参列者が平和への誓いを新たにしました。
土崎空襲でアメリカ軍が攻撃目標としたのが当時、国内の石油産業の要とも言われた日本石油秋田製油所でした。
終戦前夜から翌日の未明にかけて1万2000発余りの爆弾が落とされ250人以上が犠牲になったとされています。
記憶の継承に取り組む市民団体 土崎港被爆市民会議の伊藤津紀子さん、4歳で土崎空襲を経験しました。
会長で夫の紀久夫さんと共に語り部活動を続けています。
伊藤津紀子さん 「私学校に行ってどうですかみなさんのところのおばあさんおじいさんに聞いてって言っても、最近はもうそういう人がいなくなってきてるからね。だからやっぱり大切だなと私の役目としてこれからもやっていかなきゃそういうことで、頑張っていかなければいけないなと思ってる」
戦争の記憶を次の世代に伝えるために。
式典で犠牲者を悼む音色を響かせるのは砲弾の薬きょうなどを溶かしてつくられた「平和の鐘」です。
土崎港被爆市民会議 伊藤紀久夫会長「不幸にして犠牲になられた方々にはまとめられた数字ではなくこの世に生まれてきた証、それぞれに個人の尊厳が込められた名前があり喜怒哀楽のある人生があるはずでした。それが突然奪われさぞ悔しく、無念だったろうと思います。これからも市民の皆様とともに土崎の地から犠牲者の追悼と平和の声を発信していくことを誓い、あいさつといたします」
式典には遺族も参列しました。
秋田市に住む冨樫智英さん(88)は当時生後10か月だった弟・勇英くんを空襲で亡くしました。
「子どもがおんぶされてあったから爆風で、、薄れることはないです。思い出はね。」
宮城に住む木村哲也さん(53)の祖父・政治さんは日本石油秋田製油所に勤めていて亡くなりました。
「この空襲が最後の空襲っていうことに今後もなっていかなければいけないと」
平和の鐘をつくった熊谷恭孝さんの孫で小学6年生の旭悠斗さんは自らの思いを伝えました。
「鐘を鳴らして平和を願っているだけでは平和はやってきません。平和は、今生きている僕たちがつくっていくものだと思います。そのためには過去の戦争の歴史を知り、何が起こっているのかを知ることが必要だと思います。」
土崎空襲から80年。参列者が平和への誓いを新たにしました。