戦後80年…記憶の継承へ 探検家の髙橋大輔さん B29の機体の一部を男鹿市で発見したことを報告 秋田

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秋田 2025.07.29 18:04

秋田市の探検家髙橋大輔さんが記者会見を開いて、終戦直後に男鹿市の本山に墜落したB29の機体の一部の発見を報告しました。

戦後80年となる今年、発見の成果を広く伝えて記憶の継承につなげていきたい考えです。

髙橋大輔さん
「過酷な中でも人を救うという。そういう出来事が秋田、生まれ故郷の私、秋田の中にあって、まぁしかもそれをこう一つの、こう物的な証拠として、そういうものがまだ男鹿の山の中に残っているということを聞いたものですから。これはこのまま通り過ぎるわけにはいかないなと」

秋田市の探検家髙橋大輔さんは、B29の機体の一部の探索を依頼した男鹿市の男性、それに、墜落で死亡した乗組員の慰霊祭を毎年開いている男鹿ロータリークラブの会長と記者会見を開いて、先月の発見を報告しました。

B29が墜落したのは、終戦からわずか2週間後の1945年8月28日です。

捕虜に物資を運ぶために男鹿の上空を飛んでいたところ、霧で視界を失って本山に衝突。

乗組員11人が死亡し、ノーマン・H・マーチンさんがふもとの加茂青砂地区の住民に助け出されました。

マーチンさんは、1990年に加茂青砂を訪れて住民に感謝を伝えています。

髙橋さんは、先月の探索で全長1メートル84センチに及ぶ着陸装置の一部を発見しました。

このほか、飛行機のスピードを測る機器やアンテナ部分の装置なども含めて、本山で見つけた5点がB29の一部と特定されています。

男鹿市民 夏井興一さん
「男鹿市民はやっとですね、あ、なるほど、このB29の墜落事故っていうのは、本当にあったんだなということを、納得というか、実感できたと思いますよ」

男鹿ロータリークラブ 武田昭彦会長
「敵国であった人たちに助けられて、渡航費も援助して。この地をまた踏んだという、この事実だけでも歴史教育として地元の方々に語りつがれるべきものだと」

髙橋大輔さん
「とても個人では手に負える話でもありませんし、やはりこれは秋田の人を中心に、もっと言うとB29っていうやはりその全国にやはり被害をもたらした飛行機ですから。全国的な視点でですね、これをもう一度考えて、やっていく必要がある」

今後は機体の一部の保全や平和教育への利用が重要だと訴えた髙橋さん。

発見の成果を広く伝えて、戦争の記憶の継承につなげていきたい考えです。