【戦後80年】終戦前夜の空襲 悲劇を繰り返さないために 学生たちが痕跡に触れて感じたこととは 秋田 #戦争の記憶
秋田市の土崎地区では終戦前夜から行われた空襲で多くの命が奪われました。
その土崎空襲の痕跡を、先月、教員を目指す秋田大学の学生などが見て回りました。
■終戦前夜の空襲 あと1日でも早く終わっていれば…
秋田市にある土崎みなと歴史伝承館です。
館内には、爆撃された日本石油秋田製油所にあった倉庫の柱の一部や投下された鉄製の爆弾などが保管・展示されています。
先月、秋田大学で社会科教育学を学ぶ学生たちが訪れ、土崎空襲の記憶を継承する活動を続けている団体、土崎港被爆市民会議の証言者の話に耳を傾けました。
土崎港被爆市民会議・船木朝夫さん
「これは本物の現地から移転した本物の柱、本物の天井です」「1秒に1発、切れ目なく爆弾が落ちたという」
終戦前夜の8月14日から翌日の未明にかけて1万2,000発余りの爆弾が落とされて、250人以上が犠牲になったとされる土崎空襲。
学生たちは語り継がれてきた戦争の記憶と当時の惨状をうかがい知ることができる痕跡の一端に触れました。
学生3人組の柱の感想
「もっとつるつるだったってことだよね」「うん、たぶん」「むき出しなわけない」「平らだったってことでしょ」「1,200度でやられたんでしょ、こわいね」
爆弾は、飛び散った破片でも多くの命を奪いました。
語り部
「落ちればこれがもう爆発と爆風とそれからその破片が飛び散っていくっていう、本当に恐ろしい有様だったということですね」
学生
「重たいですね」「飛んで来たら痛いで済まされない」
あと1日でも早く戦争が終わっていれば。
土崎港被爆市民会議は、悲劇を繰り返さないために若い世代に伝える活動を続けています。
伊藤紀久夫会長
「戦争っていうと被害のことまず先に、これが大事なんです命が奪われた、でも相手がいるでしょ、相手の人も同じく被害」「日本が始めたんです、相手の国に行ってそれは侵略っていう言葉、加害、かわいそうだ、被害だっていうだけでは、その認識だけでは本当に歴史を学んだことにはならないと私は考えます」「他人事ではないということでね、やっぱりそこら辺を思いをはせながらいろいろ勉強していただければ」「特にみなさんこれから教職取られる方もおられるでしょうから子どもたちにそれを伝えていくと」
■わずかに残された痕跡をたよりに…記憶の継承
爆撃の標的となった日本石油秋田製油所の周辺。
逃げまどう人たちが一目散に目指した国道沿いの公園にある光沼にも爆弾は落とされました。
船木朝夫さん
「沼に死体が浮かんでいたというのが証言されています」「その当時、どっから飛んでどっちに行くのかなんて市民には情報全然伝えられてなかったので一部の人がここでも犠牲になった」
秋田大学教育文化学部・外池智教授
「痕跡がそのまま残っていればそのさっきみたいに被爆倉庫みたいに遺跡って形になるんだろうけど、なにせ空襲だから全国的にその痕跡自体がほとんど残ってないですよね」「場所場所にここでこういうことがありましたって記念碑を建ててて」
市内に9つある空襲の記念碑。
建てられた理由を語り継がなければ、戦争の記憶の継承につながりません。
土崎地区の北に位置する飯島地区には、爆撃の痕跡が残っています。
船木朝夫さん
「端の2体は首ありませんよね、みんな首が飛んじゃったんですね、爆弾の破片で、そちらは探しても首がなかったのでそのままで」
「この程度しか残ってないんですよ、やっぱり80年の経過にともなって相当かつてと景色が変わってますので」
戦争の記憶をうかがい知る術は少しずつ失われつつあります。
学生たちの中には教職の道に進んで、子どもたちに戦争について伝える人もいます。
秋田大学4年・細田萌季さん
「被害者であり加害者でもあるっていう視点その両側面が大事だっていうところをきょう学ぶことができたので、そういう視点をもって、こういう授業っていうものを構想できたらいいのかなっていうふうに思います」
秋田大学3年・小池歌織さん
「鉄の破片とかがこれがなんか体に刺さった小学生とか赤ちゃんとかもいたって言うことだったのでなんか考えさせられるものがありました」「どんどん時間の経過とともに消えていっているということも実際に目で見て感じたので、これを忘れさせないっていうのも教師の役目として大事なのかなっていうふうに再確認することができたと思います」
土崎空襲から80年。
わずかに残された戦争の痕跡をたよりに記憶の継承が続けられています。