【戦後80年】家族の戦争体験に触れる~伯父の足取りを伝える一通の手紙 #戦争の記憶
■両親の遺品の中から見つかった6枚の古い手紙
横手市の旧平鹿町。
「ごめんくださーい」
この地域に祖父の代から住む柿﨑隆雄さん65歳です。
柿﨑さん
「これがうちの仏間なんですね」「手紙が見つかりました」
十数年前に亡くなった両親の遺品を整理していたところ、6枚にわたってしたためられた古い手紙が見つかりました。
柿﨑さん
「あの、大体読めるんですよねなんとなくはね、うちの戦死した伯父に対する戦友からの手紙かなというのは最初に想像できました」
陸軍上等兵だった庫松さん。
柿﨑さんの伯父にあたります。ただ、親戚からも両親からもほとんど話を聞いたことがありませんでした。
手紙のほかに手がかりがないか探して見つかったのは一枚の写真。
戦地で撮影したとみられる庫松さんの姿です。
妻・視子さん
「位牌の奥にあったんですよね、この写真が、つい最近この写真あったって気が付いて、これも何かの縁なのかなって、そのきっかけなのかなって」
■話に出てこなかった伯父の存在 “知る”ことで弔いを
庫松さんはどんな人で出征先で何があったのか。
柿﨑さん
「いろいろ自分なりに調べてもなかなか出てこないんですね、だけどもせっかくの機会なので知り得る限りのことは知ってみたいと、それが今まで話に出てこなかった伯父に対する弔いって言うかそういうことにもなるのかなっていう感じはしていますね」
柿﨑さんは近くに暮らす息子や娘の手も借りながら解読を試みました。
手紙には、熱帯地域に赴き不眠不休で任務にあたっていた当時の伯父の働きぶりや、出征先でマラリアにかかり終戦後、ほどなくして22歳でその生涯を終えたことが記されていました。
柿﨑さん
「国に対するお勤めもできずに志半ばで、病気にかかってしまったっていう伯父の無念の思いもいろいろ感じたりしてちょっと複雑な感じもするんですけども、まず、自分の親の一番の長男がお国のために必死に戦った記録が出てきたたって言うかそういう思いですごく感動しました」
伯父の死を悼む手紙はその先に続く部分がなく誰が書いたのかはわかっていません。
それでも柿﨑さんは、今になってこの手紙が出てきたことにはなにかしら意味があると感じています。
柿﨑さん
「戦後80年ってことで、こんなに自分たちにぐっと身近に近づいてくるって言うかそういうのをすごく感じたというか、自分たちにできることはないんですけども、戦争で亡くなった人たちの思いを感じて終戦の年、月を迎えるというかそういう思いではいます」
■足跡を探るため動き出した
伯父の足跡を探ろうと動き出した、柿﨑さん。
「なんか少しでも新しいことがわかればいいなぁと思ってっていう感じかな」
訪れたのは秋田県遺族連合会です。
柿﨑さん
「ボロボロなんでちょっと紙貼っちゃったんですけど」
遺族会 田口昭益事務局長
「おーすごく達筆な方で」「これはこの前見つかったの?」
柿﨑さん
「今見つけたんです、ついこの最近」
特に気になっていたのが配属されていたという「山砲兵第71連隊」についてです。
田口さん
「ほとんどこの部隊の関連の方というのは、かなり難しい」
「この部隊は台湾で編成されている、ということはその前にもっと前にずっと満州国にいた三江省に、初代の編成、伯父さんが入ったのは三江省の部隊だった」
「山砲兵第71連隊」は最終的に台湾で、陸軍病院の役割を担っていたことがわかりました。
田口さん
「もしかしたら、前の部隊でちょっと高熱とかマラリアにかかってそのままこの部隊、病院の部隊だから、この部隊(に移った)その可能性が大だと思う」
柿﨑さん
「いずれにせよ、戦闘行為には関わってなかったっていうことですよね」
本当は、ずっと気がかりでした。
そして、伯父の足跡をたどる術もまだ残っていました。
親族であれば叔父の軍隊の中の戸籍=兵籍簿を申請できることも知り早速、取り寄せることにしました。
柿﨑さん
「遺影があっても全く気にも留めてなかったんで、もうすごく大事な事柄を教えてもらったというか」
視子さん
「柿﨑家の歴史っていうかね」
柿﨑さん
「もう全く今までとは違うんじゃないかなって思いますねそういう気持ちも込めて手を合わせたいなと思いますね」
■戦時中の伯父を知り迎える戦後80年の節目
これまでよりも輪郭がはっきりしてきた伯父の足取り。
息子・祐輝さん
「やっぱり(手紙の)終わりが気になるね」
手紙を一緒に読み解いた息子・祐輝さんにも伝えました。
わずかな手掛かりから感じたことは、戦争による多くの犠牲の上にいまの世の中があるということ。
伯父もその一人でした。
柿﨑さん
「今回の庫松さんの手紙のおかげで、墓誌に彫られていた庫松の命日がお寺さんの過去帳も間違っていて、違ってたんですね、でこれ全部掘り直してもらったんです、手紙がないと間違ったままだったんですね、これも何かやっぱりなんか導きがあったのかなという気がしますけど」
戦時中の伯父を知り、迎えた戦後80年の8月15日。
今ある命への感謝を胸に。家族の戦争の記憶をこれからも伝え継いでいきます。