【戦後80年】“餓死か”“殺されるか”中国人労働者400人超が犠牲となった花岡事件 発端の鉱山崩落事故直後を撮影したとみられる写真を発見 そこから見えてきたこととは #戦争の記憶

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2025.08.21 13:12

♢♢♢花岡事件と坑道崩落事故

太平洋戦争末期、旧花岡町=現在の大館市に強制連行されていた中国人労働者、400人余りが犠牲になる悲惨な事件がありました。

鉱山などが現場となった「花岡事件」です。

過酷な労働と耐え難い暴行。

さらに食事も満足に与えられず中国人労働者たちは“餓死するか”“暴行によって殺されるか”という生き地獄のような状況に追い込まれます。

死者が相次ぐ中一斉に蜂起しますが、弾圧され、さらに多くの命が奪われました。

事件のきっかけになったと考えられているのが花岡鉱山の坑道の崩落事故です。

♢♢♢新たな貴重な資料が

事故直後の様子を収めたとみられる写真が見つかり、花岡事件を語り継ぐうえでも貴重な資料として注目されています。

大館市の歴史や文化に関する資料を展示・保管している博物館です。

大館郷土博物館 鳥潟幸男さん
「こちらが今回見つかりましたアルバムになります。中を見てみましたら鉱山関係のそういう資料も混ざっていたということになります」

地元の保育所で長年保管されていたというアルバム。

おととし、博物館に寄贈されました。

日常の1コマが大半を占めるアルバムの中で見つかったのがある事故に関する写真です。

1944年5月29日に花岡鉱山で発生し、22人が死亡した坑道の崩落事故。

写真は、事故直後の様子を撮影したものとみられています。

巨大な穴の周囲にはスコップを持った多くの人。

穴の中には、大量の水が溜まっているようにも見えます。

「勤労報国大館中学」と書かれたのぼり旗。

現在の大館鳳鳴高校の生徒が救助に動員されたと考えられています。

崩落事故で、伯父が犠牲になった齋藤光雄さんです。

花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会 齋藤光雄代表
「こんなにすごい事故であったのかなというような感じだな。規模の大きさにびっくりしたというか。ただその部分だけ崩落したっていうあれでないもんな。これ見れば。しかもそれが中国人の強制連行につながってるっていうなことで大変な資料が見つかったなと思ってる」
ました。

♢♢♢花岡川の改修工事と中国人労働者

崩落事故は採掘や坑道を掘っているときに大量の水が坑内に流れ込む「異常出水」が原因だったと考えられています。

事故の後、崩落した坑道の真上にあった花岡川の流れを変える改修工事が行われました。

従事させられたのは強制連行された中国人たちです。

崩落事故から約1年後の1945年6月30日。

過酷な労働や暴力、劣悪な生活環境などで死者も出る中、中国人労働者たちが一斉に蜂起。

しかし、弾圧され、拷問や飢えなどで400人余りが命を落としました。世にいう花岡事件です。

齋藤さんは事件が起きた背景を裏づけるうえでも写真が見つかった意義は大きいと話します。

花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会 齋藤光雄代表
「増産増産。戦時中だから増産増産というのも原因の1つだと思うけどな。だから働く人がたやっぱり大変だったと思うけどなそのあげくがこういう状態なったということだからな。いやー本当に残念だと思う」

♢♢♢花岡事件を語り継ぐために

花岡事件から80年の節目の日を2日後に控えた今年6月。

事件の現場を巡るフィールドワークが行われました。

参加したのは中国から訪れた4人の遺族を含む、およそ40人。

花岡事件を後世に伝える活動に取り組んでいるNPOの工藤賢一さんが案内役を務めました。

花岡平和記念会 工藤賢一さん
「『大穴』って言ってですね7月1日以降、蜂起された方で虐殺された方もたくさんいらっしゃいましたのでそのご遺体をですねもう穴に埋めちゃったとそれがこの鉢巻山ってところですね」

80年前、故郷から遠く離れた異国の地で奪われた命。

悲惨な出来事を伝える痕跡は、月日の流れという厚いベールに覆われているのが実状です。

花岡平和記念会 工藤賢一さん
「中山寮っていうのがちょうどその下の方にですねあったらしいんですね。でも、どこだかもうわからないんです。」

中国人労働者が収容されていた中山寮の跡地は、草木の下に埋もれ、蜂起した労働者たちが捕らえれた後に、連行され、拷問を受けた場所は、石碑が残るのみです。

花岡平和記念会 工藤賢一さん
「私の親戚でもですね『そういう虐待されているのを見た記憶がある』と、ところがですねその蜂起をして鎮圧されてここに集められて虐待されたという、その内容は『一切花岡から出すな』ということでその当時まだ終戦前ですので検閲をされたそうです」

当時の記憶が薄れゆく中、慰霊碑にびっしりと刻まれた犠牲者ひとりひとりの名前が事件の悲惨さを訴えかけます。

遺族 張恩龍さん
「私たちは歴史を記憶することが大事であって、それは決して『恨みを引き継ぐ 』という意味ではありません。歴史を記憶してこそ真の日本と中国の平和が訪れるというふうに思います。被害者とかつての加害者が心を1つにして新たな平和を築いていきたいと願っています」

東京から参加 大学院生
「植民地主義による犠牲というのは残りにくいなと思っていてでも、そういったところにこそ光を当てて学び続けるそしてその第二次世界大戦、太平洋戦争という大きな戦争の中で起こったことっていうふうに捉えてやっぱり残し続けていきたいなってそのためにはどうしたらいいかなっていうのを考え続けたいと思っています」

花岡事件から今年で80年。

大館市 石田健佑市長
「たとえどのような状況下であろうとも人の自由や尊厳を奪う行為は決して許されることではありません。過去のつらい境遇に思いをはせ二度と同じ過ちをくりかえしてはならないと改めて、心に強く誓うものであります。決して風化させず、この悲惨な歴史を後世に語り継いでいくことが私たちの大切な使命であります」

当事者から直接話を聞くことが難しくなる中で見つかった貴重な写真。

悲惨な歴史に向き合い、記憶や記録を残す取り組みが求められています。

花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会 齋藤光雄代表
「これはやっぱり戦争の犠牲者だからやっぱり平和を守る大事さそこに行きつくということですね。花岡事件を通して平和のやっぱり大切さっていうのは訴えていく機会を作らねばならないとは思っている」