【戦後80年】男鹿市に墜落したB29の慰霊碑 移設・再整備を経て除幕式 これからも当時の出来事を伝え続ける 秋田
終戦直後に男鹿市の本山に墜落したB29の慰霊碑の移設・再整備が完了し、28日除幕式が行われました。
新たに説明板が設けられた慰霊碑が、この先も、当時の出来事を伝え続けます。
男鹿市の本山にB29が墜落したのは、80年前の1945年8月28日です。
捕虜に物資を運んでいるさなかに霧で視界を失って、中腹に衝突しました。
乗組員12人のうち11人が死亡。ノーマン・H・マーチンさんただ1人が生き残りました。
ふもとの加茂青砂地区の住民は遺体を運び、マーチンさんを救助。
その後、和平を願った慰霊碑が地区に建てられました。
1990年にマーチンさんは改めて加茂青砂の地を踏みます。
住民に感謝を伝えたのはこの慰霊碑の前でした。
太田朋孝記者
「もともと慰霊碑は小学校だった建物の前に建てられていましたが、より多くの人に見てもらおうと、あちらの、観光客などが使う駐車場の横に移設されました。このあと除幕式が行われます」
慰霊碑は、元の状態を保つ形で移設されました。
ジオパークガイドの女性
「全部ぐちゃぐちゃ。くぼみが」
男鹿市職員
「残っているのは和平だけ。ここは不明です。あと横ですね」
ジオパークガイドの女性
「わかっていたら良かったのにね~」
「ガイドなって来てから、見たけども、この横は見たことなかった。でもこのまましておけばもっと風化するよね」
慰霊碑の横には新たに説明板が設置されました。
写真付きで、英語も併記されていて、墜落やその後の交流などについて記されています。
男鹿市 菅原広二市長
「80年目にして、また戦争の。平和を祈る気持ちが高まってきているという状況だと思っています。どうかこの記念碑の改修にあたって私たちがなお一層恒久平和を誓っていくと」
B29の墜落から80年。
当時の出来事を自らの経験として語ることができる人は減り続けていて、遺構や遺品の重要性が増しています。
移設・再整備された慰霊碑がこの先も、より多くの人に終戦直後の墜落と、その後の交流を伝え続けます。