【戦後80年】交響組曲「秋田」の旋律と土崎空襲を経験した女性の語り 伝える戦争の悲惨さと平和への祈り
終戦から80年となる今年、日本テレビ系列各局は「いまを、戦前にさせない」をテーマに、様々なニュースをお伝えしています。
8日は、日本最後の空襲のひとつ・土崎空襲についてです。
秋田市で、土崎空襲を記録した絵本の朗読をまじえた、吹奏楽団の演奏会が、先月、開かれました。
朗読したのは、土崎空襲を経験した84歳の女性です。
「(家は)もちろんなかった。うち2発(爆弾が)落ちてるんだもの。穴が開いてて、そんなに大きい穴でないけど、穴が開いてて、それにほら、バラバラになったうち、木造だからみな、落ちてて、向かいもそうだし、向かいの人も亡くなったし…」
「すごい轟音、ものすごい、その轟音だけはすごく心に残ってて、とにかく逃げなければいけないってことで。小さい、小学校にも入らない子どもだよ?でもそれが時々じいさんにね、おんぶされたり、それからまた歩いたりなんかして、高清水(地区)まで逃げた」
恐ろしい戦争の記憶を、次の世代に伝え継いでいかなければいけない。
終戦前夜から未明の土崎空襲を4歳で経験した、伊藤津紀子さん84歳。
秋田吹奏楽団の定期演奏会のステージで、土崎空襲を記録した絵本の朗読に臨みました。
「自分でやるのであればいいけど、音楽に合わせてやるっていうのは、それは緊張する、すごく緊張する」
戦後80年、そして楽団の結成から50年を迎える節目に合わせて制作された交響組曲「秋田」。
そのメインが、伊藤さんの朗読を組み込んだ演奏です。
「10時27分、製油所の夜。かやの中でうとうとする頃、いきなり空襲警報のサイレンが鳴りわたる。『越後屋!お前電気消せ!』」
映画音楽に長く携わる秋田市出身の作曲家・天野正道さんが作曲したもので、空襲の恐怖と悲惨さを表現した旋律が、朗読に臨場感を与えます。
「逃げる人々、倒れる人、うずくまる人々」
「松林の防空壕に行く途中に、太い腕がぼろぼろ落ちて、ハエがついている、三治郎さんが紙かぶって死んでた。影の田んぼには奥さんが逆さになって死んでた。久平は爆弾の破片を脇の下に受けました。はっけぇ水飲みてえな。水はなくて、土掘って、冷たい砂を体にあてました。気持ちいいべ?なんもだなんもだ。こんたに血出ればだめだって学校の先生言ってた」
土崎地区には約130機の爆撃機が飛来し、1万2000発余りの爆弾を落としました。
犠牲者の数は250人を超えました。
そして、終戦を迎えました。
「土崎はとっくに立ち直りました。でも戦争は終わっていないのです。世界中が平和にならないうちは」
「土崎の港湾公園には、今、飛び立とうとする鳩を抱いた乙女の像が立っています。新しい土崎を背に、亡くなった人々の悲しみを胸に港をじっと見るその伏せた目。乙女は祈っているのです、恒久の平和を」
「土崎から飛び立って、世界中に平和の灯火を21世紀に語り継ぐ。この町からの贈り物だと言って届けておくれ」
来場者の感想
「ここまで表現できると思わなかったです。すごかったですね」
「戦争のことをこうやって音楽で伝えていくっていうことが素晴らしいって言ったら変ですけど、伝えていく方法として、すごく、なんか、いいのかなと、感じることはたくさんありました」
平和を願う心を持ち続けなければいけない。
戦争を直接経験した人の語りが、音楽とともに、訪れた人たちの胸に響き渡りました。