【戦後80年】土崎空襲を次の世代へ 4歳で空襲に遭った女性が自身の経験を語る 秋田 #戦争の記憶

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秋田 2025.08.06 18:10

日本最後の空襲のひとつ、土崎空襲を次の世代に語りつなごうという講演会が秋田市で開かれました。

4歳の時に土崎空襲に遭った女性が参加し、自身の経験と伝え継がれてきた記憶について語りました。

約50人が参加した講演会に語り部として参加した伊藤津紀子さん84歳です。

伊藤津紀子さん
「幼稚園で何かして遊んだという記憶は全くないんですよね、そして、あるのは、ただ、逃げる訓練をしたということだけです。同じ方向に子どもたちが手をつないで先生が先頭に立ってうちへ帰ってくる」

終戦前夜から未明にかけて行われた土崎空襲を4歳で経験しました。

伊藤津紀子さん
「ぴかっと光って照明弾落ちると、明るくする爆弾ですよね、そうすると道端に隠れながらまた終わると逃げるということで高清水の丘に逃げました」「夜が明けて私たちは帰ってきました。新国道を通ってとぼとぼ歩きながら帰ってきたんですけども、帰ってきたらうちのまわりには縄が張ってって、そして人もたくさんいるんですよね。私のうちには爆弾が2発落ちてました」

一夜にして住まいを失い、近くに住んでいた人たちも大勢亡くなりました。

1万2,000発余りの爆弾が落とされ250人以上が犠牲となったとされる土崎空襲。

アメリカ軍の攻撃目標となったのは、当時、国内の石油産業の要とも言われた日本石油秋田製油所でした。

爆撃を受けた製油所の建物は高熱でコンクリートが溶けてしまいました。

惨状を後世に伝える、いわば物言わぬ証人です。

伊藤さんは、国民学校、今の小学校の6年生だった岩間久平さんのことも伝えました。

伊藤津紀子さん
「爆弾が落ちて破片が落ちて刺さって亡くなった人の洋服です」

「冷たい水が飲みたい」そう言い残して亡くなったといいます。

伊藤津紀子さん
「戦争はだめだ、戦争はこういうものだったということを伝えていかなければいけないということで」「皆さんにお伝えしております」

戦争を直接体験した人の証言と伝え継がれてきた記憶にじっと耳を傾けた参加者。

福岡から帰省中の参加者 母
「おじいちゃんが住んでいる土崎も戦争が終わる直前に空襲があったんだよっていうことを説明しましたら、非常に興味を持ってきょうこちらに参加をしました」

福岡から帰省中の参加者 娘
「学校の先生にもお父さんにも、戦争のことあんまり詳しく知らない、だから戦争はすごいこわいことで、よくないことだよって伝えたいです」

伊藤さんはこれからも土崎空襲を語りつなぎ平和の尊さを訴えていきます。

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秋田放送では「いまを、戦前にさせない」をテーマに、今後も様々な特集をお伝えしていきます。

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