【戦後80年】男鹿の海岸にコンクリートの建造物 軍の関連施設か…設置の経緯や目的は不明 1枚の写真が新たな謎を呼ぶ 秋田 #戦争の記憶
男鹿市の入り口、船越地区。
海岸沿いの保安林の中に、コンクリートの建物があります。
地元の人に「かんししょ」と呼ばれるその建物は、「船越防空監視哨」跡と考えられてきました。
男鹿市職員の五十嵐祐介(いがらしゆうすけ)さんは、船越地区のマップを作成する中で建物の存在を知り、10年以上調査してきました。
五十嵐祐介さん
「ここが、船越の防空監視硝に関連している施設だと考えているところです。」
「地元の人たちが『かんししょかんししょ』と呼んでた建物。」
「防空監視哨」とは、空襲に備え、軍とは別に警察の管理下で一般市民が見張りをした施設のこと。
県内で終戦までに設置されたのは37か所。
このうち5か所が男鹿市の海岸沿いにあったとされています。
建物は、全長4メートル、高さ2.6メートルのコンクリート造りで、海側の外壁は半円状にカーブしています。
壁には30センチ四方の開口部が8つ。
五十嵐さん
「見渡すにはすごい絶好の場所だったと思います。」
中には休憩できる椅子のようなものも。
屋上に上がるためでしょうか。
外壁に、はしごのようなものも取り付けられています。
五十嵐さん
「これは天井にまで突き出ていますので、何かの配線か、もしくは上とのやりとりをするために声を出したりするためのものなのか、ちょっと分からない状況です」
防空監視哨であれば、市民が戦争に関わったことを示す貴重な戦争遺跡といえます。
その存在を裏付けるため調査をする中で、新たな情報が寄せられました。
こちらが、市民から提供された写真。
1943年に、船越防空監視哨前で撮影されたものだと記録されています。
写っているのは、警察官や監視にあたった女性たち。
その奥にある建物が防空監視硝ですが、現存するコンクリート造りではなく木造2階建てだったといいます。
戦後、米軍が撮影した空中写真で今の建物がある付近を見てみると…。
カーブはなく、四角い形状の構造物が建っています。
五十嵐さん
「じゃあこの木造のが防空監視哨だとすると、なおさらこれが何だ?ということになってしまうので、監視哨に付随する何かなのか、後は別の監視施設なのかというところを探っているところです。」
その構造から、戦中に造られられた可能性が高いというコンクリートの建物。
いったい、誰が、なんの目的で建てたのかー。
五十嵐さん
「(全国的には)民間で飛行機を監視するもののほかに、重要な工場を守るっている監視所もあったと、(当時の文献には)書かれていますので、そうなると秋田のこちら側には、土崎の製油所がありますし、右手側には船川の製油所が、戦時中、重要な拠点としてあったので、そちら側を監視するっていう施設であった可能性もあるのかなと」
軍の関連施設だったことも考えられますが、機密事項として資料は廃棄された可能性が高いといいます。
当時を知る女性たちも、地域にはほとんど残っていません。
五十嵐さんは、文化財としての保存も視野に住民への聞き取りなどを行ってきましたが、調査は難航しています。
五十嵐さん
「あと20年早く調べていれば、分かっていたかもしれない。ここが何なのか明らかにしたい。今後も文化財の保存などの方向性は広がる」
終戦から80年。
監視硝を知る人も、資料も少なくなり、その存在を確かめるハードルはますます高くなっています。