【密着】大森山動物園の顔・小松守園長 退任の日 動物とともに歩んだ半世紀 語った思い出と動物にかけた言葉
秋田市の大森山動物園の顔とも言える小松守園長が、30日、退任の日を迎えました。
動物園に勤務したのは半世紀、丸50年です。
園長としての最終日を取材しました。
■勤務は丸50年 小松園長と大森山動物園の歴史
秋田市の大森山動物園の小松守園長、72歳。
在任期間は27年と1か月で、公立の動物園では、全国で最も長く務めた園長です。
30日、「園長退任の日」を迎えました。
小松守 園長
「物を整理していくとね、いろんな過去の思い出も含めて、あ、こんな仕事、こんな仕事っていうのは、やっぱりじわじわと、やったなぁっていって、書類を捨てる時にね、立ち止まって見ているんだよね。まぁ、そんなもんでしょ」
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獣医師でもある小松園長は、1975年・昭和50年に、秋田市の職員として、大森山動物園に配属されました。
「特別な場所」として、子どもたちをはじめ、多くの人に親しまれる動物園。
ちょうど50年前の5月1日が勤務の始まりでした。
45歳で園長になったあと、定年後の再任用を経て、依頼されて非常勤の職員として園長を務めてきました。
約90種類、500点以上の生き物がいる動物園。
最後の日も、健康観察を兼ねて、動物たちを見て回りました。
小松 園長
「この猛獣舎は、おりとコンクリートだったの。だから、私が園長になる辺りからね、動物も幸せに、できるだけ幸せに暮らしてほしいっていうので、こういう造り方にしたの」
小松園長は、従来の「おりとコンクリート」の展示を減らし、客のため、そして動物のために、少しでも自然に近い環境づくりを心がけてきました。
■動物園の"先輩"にかけた言葉と忘れられない命
3日後に73歳の誕生日を迎える小松園長ですが、大森山動物園には“先輩”がいます。
小松 園長
「ボン、寒くないか、きょう。彼は私より先輩だから、私が動物園に来た時もういたんだから。ねっ、ボン」
「俺と同じで、だんだん耳が遠くなってきたんじゃない?高齢化して、 ボン」
開園当時から暮らし続けるオスのチンパンジー「ボンタ」。
人間に換算すると80歳ぐらいで、勤務を始めた当時からいるのはこのボンタだけです。
小松 園長
「あとは頼むぞって。長生きしてほしいですよ」
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獣医師でもある小松園長は、動物たちの「命」と直に向き合ってきました。
50年で最も印象深い出来事を訪ねると、キリン舎にやってきました。
小松 園長
「思い出しますね。ちょうどこの部屋で、義足のキリン・たいようの何度かの手術をして、ここでみんなで立たせようとして、最期の最期に力尽きた時、まだ思い出しますね」
2002年、園内で足を骨折した赤ちゃんキリンのたいように、義足を着ける手術が行われました。
体の大きなキリンは、骨折すると、ストレスを抱えて死んでしまうため、壊死する可能性がある足を切断。
世界でも前例のない、義足装着の手術に臨みました。
陣頭指揮を執ったのが、獣医師でもある小松園長です。
手術から1か月後、たいようは、天国へと旅立ちました。
たいようは、のちに絵本にもなります。
義足のキリンのニュースが伝えられると、全国から大森山動物園に応援が寄せられるようになりました。
たいようをきっかけにして、大人・子どもを問わず、大森山動物園への関心が高まっていくのを感じたそうです。
小松 園長
「我々人間の世界でも同じなんだけども、それを子どもたちに本当に伝える場所としては、動物園っていうのは、ひとつの大事な場所なんだろうと思いますよ」
職員として、園長として、人生の大半を動物園で過ごしてきました。
挑戦し続けた動物園。
小松 園長
「一生懸命、その動物のね、いろんな生きようを伝えようとして、いろんなサービスを、今、頑張っています。そこから何かを感じればいいんです。そこからちょっと『え?!』と思って、その先でまた何かを膨らましていけばいいんです。動物は、動物園っていうのはね、そういう、命を知ったり、分かっていくためのね、入り口でいいんです。楽しく!うん」
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小松園長は、長年の貢献を踏まえて、30日、秋田市長から「名誉園長」に委嘱されています。
「動物が大好きなので、自分がお役に立てるならいろいろな場面で尽力したい」と話していました。