【戦後80年】B29墜落をめぐる探検家のアメリカ訪問③ 唯一の生存者の長女が伝え続ける感謝と守り続ける #戦争の記憶

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秋田 2025.08.07 18:10

終戦直後に男鹿市の本山に墜落したアメリカの爆撃機B29の機体の一部を見つけた秋田市の探検家、髙橋大輔さんのアメリカ訪問の特集です。

7日は唯一の生存者、ノーマン・H・マーチンさんと、その長女についてお伝えします。

墜落のあと、ふもとの加茂青砂地区の住民に助け出されたマーチンさん。

戦後に生まれたその長女ネルさんは、アメリカで私設の航空軍事博物館を運営しています。

ネルさんは父親の足跡について語りながら、救出してくれた加茂青砂地区の住民に、また、秋田への訪問を実現してくれた人たちへの感謝の思いを伝え続けています。

■B29の本山墜落は「特別な出来事」

アメリカ南部、ルイジアナ州のモンロー。

髙橋大輔さん
「アメリカの本当に美しい田舎に来たっていう感じかな」

農林水産業や航空産業が盛んな地域で、豊かな自然にも恵まれています。

街の中心部からほど近い場所に、入場無料の航空軍事博物館があります。

秋田市の探検家髙橋大輔さんが訪ねたのは、博物館の運営責任者、ネル・キャロウェイさん、75歳です。

ネルさん
「博物館は見た目よりもずっと広いです」

第一次世界大戦以降の戦争に関する軍事品が展示されている航空軍事博物館。

兵士や退役軍人に関する資料も残されていて、運営費用は寄付などでまかなわれています。

終戦直後に男鹿市の本山に墜落したアメリカの爆撃機B29の動画や写真、記事の展示コーナーもありました。

ネルさん
「この展示をご覧いただく際にお伝えしているのは、これはとても特別な出来事だということです。アメリカ軍が日本国民にあの恐ろしい爆弾を投下してから、わずか2週間後のことだったからです」

■唯一の生存者…長女が語る帰国後の父親の姿

ネルさんの父親は、本山に墜落したB29の唯一の生存者、ノーマン・H・マーチンさんです。

ルイジアナ州で生まれ育ったマーチンさん。

太平洋戦争の際にアメリカ軍に入り、その後B29の乗組員になります。

1945年の8月28日、捕虜に物資を届けるために男鹿の上空を飛んでいたB29の尾翼席に乗っていたマーチンさん。

墜落で乗組員11人が死亡した中、ただ一人、生き残りました。

ふもとの加茂青砂地区の住民は、道なき道を登って墜落現場にたどり着き、亡くなった人たちを運び、マーチンさんを助け出しました。

わずか2週間前までは敵だった日本人に殺されるのではないかと考えていたというマーチンさん。

秋田でけがを治療し、もてなしを受けたあと、無事に帰国を果たします。

B29の墜落とマーチンさんの生還については、アメリカでもたびたび報じられました。

ただ、マーチンさんが積極的に当時の話をすることはなかったといいます。

終戦の翌年に結婚して子どもに恵まれましたが、家族にも当時の出来事について伝えることはありませんでした。

ネルさん
「父はあまりおしゃべりな人ではありませんでした。そういう性格ではありませんでした。私のほうが父よりもよくしゃべります。父は静かな人でした。戦争のせいで静かになっていたのかもしれません」「多くの退役軍人、帰還兵がPTSDと呼ばれる症状を抱えています」

戦時中の経験。

そして、仲間が亡くなってしまい、自分だけが生き残ったことへの罪悪感、サバイバーズギルトが、長く、マーチンさんの心に影を落としました。

■再び秋田を訪れたマーチンさんの願い

35年前の1990年。

マーチンさんは男鹿ロータリークラブなどに招かれて、再び、秋田を訪れました。

墜落後に山奥から救い出してくれた加茂青砂の人たちに伝えたかった感謝の思い。

マーチンさん
「何人の人が私を助けてくれたんでしょうか 」

胸の奥にしまい込んでいた、当時の出来事。

マーチンさん
「とてもとてもうれしいです。夢がかなった。本当に夢のようです」

本山の現場付近で続けられてきた、亡くなった乗組員の慰霊。

このとき、新たな標柱も建てられました。

マーチンさん
「もう二度と戦争が起こらないことを祈っている。孫や子どもたち、将来の世界中の子どもたちのために。日本もアメリカも戦争をせず、世界の平和が続くように一緒に歩み続けなければならない」

秋田での、2度目の交流。

ネルさん
「秋田の人たちが父を墜落現場へ連れて行き、慰霊碑や記録を見せてくれたことが、彼の中の何かを解き放ったのだと。父だけでなく秋田の人たちも胸のつかえがなくなったのではないでしょうか」

■父を救ってくれなければ… 長女が伝え続ける感謝

髙橋さんの訪問がきっかけで、改めて光が当てられた遺品があります。

マーチンさんが着ていた搭乗服です。

髙橋大輔さん
「これはどんな意味ですか」
ネルさん
「わかりません」
髙橋大輔さん
「サカイ」「オーイタ」
ネルさん
「あなたがわかるといいのですが」
髙橋大輔さん
「オーサカ」「ヤワタ」「トヤマ」
「松山は日本の市です」
ネル
「爆撃された主要な場所でしょうか。つまり、爆弾を落とした場所だと思います」「秋田の人たちは、爆弾を落としていたかもしれないと知っていても、父を救助したでしょうか」
髙橋大輔さん
「わかりません。彼らにもわからないでしょう」
ネルさん
「知る由もないでしょうか」
髙橋大輔さん
「ただ、墜落事故だけではなく、秋田にはとても悲しい歴史があるんです。私たちはB29の攻撃を受けました。日本が降伏するわずか数時間前です」「秋田市の北部がB29の攻撃を受けたんです。多くの人が、そのことを覚えています、多くの人がB29を…」
ネルさん
「敵」
髙橋大輔さん
「ただの敵というよりそれ以上です。なぜなら…」
ネルさん
「爆撃されたから。だからこそ、信じられないんです。爆撃されたのにB29に。でも彼らは父を救った。B29の生存者です。それが本当に驚きなんです」

秋田の人たちが父を救ってくれなければ自分は存在していなかった。

ネルさんは今も日本からの来場者に感謝を伝え続けています。

ネルさん
「もっと多くの人がそうしていれば、戦争が何度も繰り返される心配はなくなると思います。私に命を与え、家族に命を与えてくれたことに、心から感謝します。そして、父の救助の記憶と、命を落とした乗組員たちの記憶を、これからも大切に守り続けていただきたいと願っています。」

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シリーズでお伝えしているアメリカ訪問の特集、8日は、ネルさんの子や孫への戦争の記憶の継承についてお伝えします。

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秋田放送では「いまを、戦前にさせない」をテーマに、今後も様々な特集をお伝えしていきます。

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