【戦後80年】B29墜落をめぐる探検家のアメリカ訪問④ 秋田で救出された命 受け継がれる感謝と #戦争の記憶

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秋田 2025.08.08 17:51

終戦直後に男鹿市の本山に墜落したアメリカの爆撃機B29の機体の一部を発見した秋田市の探検家、髙橋大輔さんのアメリカ訪問、8日は唯一の生存者ノーマン・H・マーチンさんの親族や子孫の特集です。

墜落のあと、ふもとの加茂青砂の住民に助け出されたマーチンさん。

その命は子や孫、ひ孫、そしてその先へとつながっていました。

80年近く経つ今も、当時の出来事と日本、秋田への感謝の思いが脈々と受け継がれています。

■「平和を維持することは、戦争をすることよりも難しいことがある」祖父の教えを胸に…

アメリカのルイジアナ州にあるシェンノート航空軍事博物館。

日中戦争で「フライングタイガース」と称された中国の航空義勇軍を指導したアメリカのシェンノート将軍に由来します。

次々と戦果をあげた「フライングタイガース」は蒋介石率いる中国国民党の要の一つでした。

シェンノート将軍はアメリカからも、中国からも、その功績を大きくたたえられます。

その名を冠したこの博物館の運営責任者はネル・キャロウェイさん75歳。

母方の祖父がそのシェンノート将軍です。

秋田市の探検家、髙橋大輔さんが6月下旬に訪ねて話を聞きました。

航空部隊の最前線で戦ったシェンノート将軍が残した言葉があります。

ネルさん
「平和を維持することは、戦争をするよりも難しいことがある。だからすべての人々は、平和を当然のことと見なすべきではない」

祖父の教えをずっと胸に宿しているというネルさん。

父親は、男鹿市の本山に墜落したアメリカの爆撃機B29の唯一の生存者ノーマン・H・マーチンさんです。

■終戦からわずか2週間後で発生した墜落と、救出

B29が墜落したのは終戦からわずか2週間後の1945年8月28日。

捕虜に物資を運んでいたさなかに本山に衝突して機体がバラバラになりました。

乗組員11人が死亡しています。

尾翼席にいたマーチンさんが奇跡的に生き残り、ふもとの加茂青砂の住民に助け出されました。

加茂青砂地区・石川助治さん
「ナタたがえたりカマたがえたり行ったもんだから、このノーマン軍曹、ほれ、最尾翼のほうで助かっていたども、殺されるかと思ってびっくりしたんだな。」

加茂青砂地区・石川芳恵さん
「1人助かって、住宅さ連れてきたども、ごちそう食べさせるって言っても、とっても食わね。悪いものだからと思ってな。なんも食べねかった」

「鬼畜米英」として日本がアメリカを憎んでいた時代。

B29による原爆の投下や、終戦前夜に始まった土崎空襲からほどなくして発生した墜落と、救出でした。

それから45年が経った1990年。マーチンさんは改めて加茂青砂を訪れて感謝の思いを、直接住民たちに伝えました。

マーチンさんは、自衛隊のヘリコプターで墜落の現場付近も見て回り、仲間の乗組員を慰霊しました。

マーチンさん
「1945年と同じ場所に同じルートで連れてきてくれて、うれしいと同時に感謝している」

2012年に86歳で亡くなったマーチンさん。

2度目の秋田訪問の際には、「もう二度と戦争が起こらないことを祈っている。将来の世界中の子どものために、日本もアメリカも戦争をせず、世界の平和が続くように一緒に歩み続けなければならない」という言葉を残していました。

■受け継がれる当時の出来事と感謝の思い 秋田で救出された命これからも…

秋田で救い出された命は長女のネルさん、孫、ひ孫、そしてその先へとつながっています。

一家に、B29の本山墜落に関する秋田放送の映像を見てもらいました。

ネルさんは機会があるたびに、男鹿での出来事を子や孫に伝えてきました。

ネルさんの息子・マイケルさん
「助けてくれた人たち、親切で寛大で。とても穏やかで精神的、文化的だと思います。いつの日かそこを訪れて、人々と会って、記念碑が今も残っている場所を見に行ってみたいです。」

ネルさんの孫・ミカエルさん
「皆さんがいなければ私たちは誰もここにいません。2人の娘と妻、そしてそのほかすべてもありませんでした。皆さんが犠牲を払って助けに行ってくれたことに、心から感謝しています」

髙橋さんは男鹿市の菅原広二市長から託された、「機会があればぜひ男鹿にお越しください」と書かれた手紙をネルさんたちに渡しました。

ネルさん
「戦時中のような厳しい時期に、父が敵とみなされていたにもかかわらず、心を砕いてくれた人々がいたことに感動しました。彼らは困っていた父の命を救い、そのおかげで私に命を与えてくれました。そして、皆さんが目にしているすばらしい家族を与えてくれたのです。心から感謝しています。ぜひモンロー、そしてアメリカにもお越しください、友情の手を差し伸べたいと思っています。本当にありがとうございます」

B29の墜落からまもなく80年。

当時の出来事と、日本、秋田への感謝の思いは、今も脈々と受け継がれています。

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髙橋さんは今後、ネルさんのメッセージなどを加茂青砂の人たちに伝えることにしています。その模様もまた後日エブリーでお伝えします。

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秋田放送では「いまを、戦前にさせない」をテーマに、今後も様々な特集をお伝えしていきます。

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