【後編】南極観測隊に同行 秋田魁新報社の記者・大久保瑠衣さんが撮影した大自然の映像 南極と秋田の関わりも

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秋田 2025.06.11 17:46

「観測隊」の同行記者として、約4か月、南極を取材した、秋田魁新報社の記者・大久保瑠衣さん。

大久保さんが撮影した南極の貴重な写真や映像を、10日と11日の2日間お伝えしています。

11日は、大自然の映像に加え、南極と秋田の関わりをお伝えします。

南極の巨大な岩場「ヒスタ」。

断崖絶壁の下は氷河になっている、壮大なスケールの南極の風景です。

秋田魁新報社の記者の大久保瑠衣さんは、去年12月から約4か月、日本を離れ、第66次南極観測隊の同行記者として、南極大陸に足を踏み入れました。

観測隊員の仕事の様子や南極の風景をカメラに収めながら記事を書いて、秋田魁新報に掲載してきました。

南極は、秋田から1万4,000キロ以上離れた、氷に覆われた大陸です。

今から100年以上前の1912年、明治45年に、にかほ市金浦出身の白瀬矗中尉が、探検隊を率いて、日本人として初めて上陸しました。

白瀬中尉は、日本の南極観測の歴史に、確かな足跡を残しています。

大久保さんも乗船した、白瀬矗中尉の名に由来する「南極観測船しらせ」。

隊員たちは、「海氷」と呼ばれる海の分厚い氷の上でも、様々な観測をします。

その様子を、大久保さんは、様々なタイプのカメラやドローンを使って撮影してきました。

その「しらせ」は、「砕氷船」と呼ばれています。

「しらせ」は、周りの氷を砕きながら、ゆっくりと進みます。

船体は、非常に硬い金属で覆われていて、体当たりと船の重さで、氷を割りながら進んでいきます。

氷が厚い時は、1日わずか1キロしか進めないそうです。

南極では、やはり厳しい寒さとの戦いでした。

大久保瑠衣 記者
「大陸から吹いてくる、吹き下ろす風が、氷の上をなでて来る風なので、すごく冷たくて、マイナス10度ぐらい、15度ぐらいで、そこでずっと、1日船の外で観測している人たちの取材とかもするので、やっぱり体は冷えますよね。そこでドローンを飛ばしたりとかすると、なおさら細かい作業が結構あるので、手先がわりと本当に辛かったですね」

大久保さんが撮影した映像からも、その寒さが伝わってきます。

大久保 記者
「こういう… 全部雪原」
田村修アナウンサー
「何もないですね」
大久保 記者
「何もないです」
田村アナ
「氷と雪の地平線」
大久保 記者
「本当に何もないです」

海から内陸に170キロほど入ったところ。

容赦なく吹き付ける、冷たい風の音だけが聞こえてきます。

見えるのは、空と氷の大地だけですが…。

大久保 記者
「ここにこう、突然現れる」
田村アナ
「おー!本当だ!うわー、本当だ」

「ボツンヌーテン」という3つの岩山です。

見た目は500メートル程度でも、周りの氷の大地がすでに標高1,000メートルほどなので、岩山の高さはおおむね1,500メートルに達します。

大久保さんが足を踏み入れた12月から3月は、南極の「夏」の時期。

岩肌が見えるところもありました。

野生のペンギンは、人間を見ても逃げださず、隊員たちの心を癒やしてくれたといいます。

約30人の隊員が越冬する、日本の「昭和基地」。

南極では、水が貴重なため、万が一の火災を想定して、間隔をとって、それぞれの施設が建設されています。

その昭和基地には、秋田ゆかりの建物もあります。

大館市の鉄鋼会社・東光鉄工製のTOKOドームです。

金属を曲げる独自の技術で造られたドームは、柱を使わないため、少ない資材で早く建設でき、中も広々と使えます。

今、南極では、6棟が倉庫や格納庫として利用されています

また、大館市の東光鉄工に勤務する髙坂匡史さん45歳も、建築・土木の設営担当として、南極に渡りました。

2018年度から数え、今回通算6回目の南極という、ベテラン技師。

この時は、宿舎の新築工事を進めていました。

厳しい自然の中で暮らす隊員をしっかりと守る、大切な建物。

秋田の人と技術が、南極での生活を支えています。

隊員たちの、日常の映像も。

南極の初日の出です。

大久保 記者
「南極の初日の出が、1月の21日だったんですよ」
田村アナ
「ん?」

夏場、白夜で日の沈まない南極では、1月20日になって。太陽が少しだけ沈み、1月21日に初日の出を迎えました。

大久保 記者
「やっぱり日本人なので、みんなありがたいありがたいって言って」
田村アナ
「初日の出を?1月21日に? 」

大久保 記者
「南極って、何か足りないから追加して買うとかできないじゃないですか。お店もないし。南極に行って、物の見方が変わったっていうのは、何か感じるところはあって。やっぱりシンプルにもうなるようにしかならないなとか。出来ない時は出来ないのかな、とか。そこに何かけじめをつけやすくなったというか、シンプルにもっとすっきりとした物事を見るような目になったかなという感じはします」
田村アナ
「南極また行けるって言ったら行きたいですか?」
大久保 記者
「あ、行きたいです、はい」
田村アナ
「リピーターになりたいっていうことですね」
大久保 記者
「チャンスがあれば」

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より詳しい行程や取材した内容は、ホームページに掲載されています。

「秋田魁新報」「南極日誌」で検索してみてください。