プロレスラー豪
1999年の秋、田村がまだアナウンサー3年生のころ
ABSラジオ「なんてったって日曜はスポーツ」の取材で
秋田市の飯島中学校柔道部のつよーい双子を取材しました。
佐藤豪志(タケシ)・佐藤豪則(タケノリ)という双子の兄弟でした。
加えて2000年の8月全中の個人戦で優勝した五十嵐充主将とのトリオは、東北で敵なしの強力柔道部でした。
1999年 12/5の放送で、豪志・豪則兄弟の声をメディアで初めて放送しました。
当時2年生だった2人は、明らかにほかの部員と異なる顔つきをしていました。
「俺たちが飯島中柔道部をひっぱっていくんだ」という意識の表れか戦う男の顔つきで、とても中2には見えませんでした。
インタビューには
あれからおよそ15年・・・
既に柔道着を脱いでいた2人。
弟の豪則くんはパンクラスの総合格闘家に、兄の豪志くんはプロレスラー豪として
プロレスラー豪(本名:佐藤豪志)
戦いを生業とする屈強な男に変貌を遂げていました。
変貌を遂げたというよりも、そのまま武者修行を経て成長したと言ったほうが適当かもしれません。
そんな佐藤豪志くん、いや、豪さんが秋田に帰ってきています。
正確に言うと、戦いがあるたびに首都圏に出向き、戦いが終わると秋田に戻ってきています。
豪さんは秋田である決断をしました。
それは非常に勇気の要る決断でした。
それには当然の理由がありました。
東京で お世話になった先輩と一献
『24時間テレビ37「愛は地球を救う」』が8/30(土)と8/31(日)に放送されます。
母校でコーチを務める
秋田からの放送で、プロレスラー豪さんの決断を放送します。
テレビ制作部・梅村康史ディレクターが取材を続けて心の内を描きました。
放送は8/31(日)です。
なぜスーツ姿?!
田村はナレーションを担当しました。ぜひご覧下さい。
豪さんへ
「取材にお付き合い下さりありがとうございます。
そしてよく、取材した事を覚えていましたね、とても嬉しかったです。 田村も良く覚えています。
まだお会いできていませんが、近いうちにお会いしたいと考えています。 そして応援しています」