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2024年2月25日

20歳の頃、ABSテレビ「民謡おさらい道場」に出演した山内梅良さん76歳。今、大好きな歌う事・演ずる事をおもいっきりして輝きを増しています。

この日のゲストは、男鹿市の浮田産業輸送株式会社の浮田忠勝社長のご紹介で、秋田三弦研究会代表で秋田民謡旭北サークル会長であり「虹の企画」代表の山内梅良(やまうち うめよし)さん76歳です。ナビゲーターの香月彩さんの曲も気に入ったようで、嬉しそうでした。

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山内梅良さんは1948年(昭和23年)1月1日生まれです。生まれも育ちも雄和です。実家が農家ということもあり、雄和地域には常に民謡が聞こえてくる環境です。小学校の学芸会で劇に出て、関心を持ちます。中学校では合唱クラブ。他にも自分で創作・演出・出演をするなど楽しんでいました。そのころ、特に好きだったのは、喜劇役者の藤山寛美さん(上方喜劇界を代表する喜劇俳優)。

中学校の教師に森寛太(秋田出身の俳優)の兄がいたので「師事できないか」と頼んだことも、中央の劇団に申し込みをしたこともあったそうですが、お父さんに見つかり断念した事があるそうです。

農業高校に進学してからは、すぐ演劇部に入り、一年から主役をします。県の演劇コンクールで高校初の優勝!卒業後は、勤労者演劇集団に所属するなど、山内さんがいかに舞台で演ずる事がお好きで才能があるのかがわかります。

民謡では20歳の頃、ABSテレビ「民謡おさらい道場」で、秋田草刈り唄を歌っています。
その後、25歳で地方選に出馬するため、唄も劇団も脱会。その後50年、仕事に専念し議員を辞めてから三味線・唄を再開したそうです。令和元年秋田長持ち唄全国大会で優勝‼その後、毎年のように色々な大会で優勝しています。

三味線は習い始めて15年。高橋竹山の津軽三味線の演奏に胸が震えたことがきっかけです、
昨年、雄和で生まれた方々がふる里雄和に帰り自慢の喉を披露した「ふる里雄和で唄う」というイベントを企画し雄和の人たちに喜ばれました。山内さんが、ふる里雄和の人たちへの恩返しのため企画したものです。

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Michikoは司会のお手伝いをさせて頂いたのですが、あんなにたくさんのお客様が大喜びしたステージは経験ありません。さすが、三味線名人浅野梅若さんや民謡日本一の長谷川久子を輩出した雄和。今も2023年(令和5年10月23日)の「ふる里雄和で唄う」の反響は、続いています。山内梅良さんのすばらしい人柄、人間性を感じました。

2024年2月18日

若い女性に大人気の大阪から来たマジシャンのぶさん

ゲストにお呼びしたのは、秋田市大町にある『手品の館スマイル』のマジシャン、その名も「マジシャンのぶ」さん26歳です。

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マジシャンのぶさんは、大阪府貝塚市出身です。19歳の時テレビでマジックを見て、一瞬でマジックの面白さに惹かれ、マジシャンになりたいと思ったのだそうです。それからは、趣味としてマジックの世界にはまりました。

22歳の時、マジシャン募集のお知らせが唯一、秋田市山王のお店から出されていたそうで、ただ、マジシャンになりたいという気持ちだけで、今まで一度も訪れたことのない秋田に来たのです。人前でできるようになったのは、1か月ぐらいたってからだそうです。山王のお店で働いたあと、現在の秋田市大町4丁目2-8 まるちビル(川反)で独立。「手品の館・スマイル」というマジックバーを開きました。

秋田に来て感じたことを話して頂きましたら、最初に感じたことは人がやさしい。美人が多いこと。それはそのはず、マジシャンのぶさんは色白でイケメンです。トークも上手で、20代のファンになったお客様たちでいつもお店はいっぱいになっているそうです。若い秋田美人が多く訪れるお店になっているんですね。

マジックは非常に奥が深く、バリエーションがたくさんあって、道具も自分で作るのだそうです。20代の若いのぶさんですが、今、思っていることは、マジックで秋田を盛り上げたいという事だそうです。

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秋田で一番気に入った場所を質問すると、「玉川温泉」ですって!なかなか渋いですね。
とにかく、大阪出身の若者がこんなに秋田を気に入ってくれて、Michikoは嬉しくって!
成功してほしいですね。

2024年2月11日

お豆腐って、ジェラートにもなるんですね!

心の花・東海林大心社長がこの日紹介してくださった方は、豆腐のテイクアウト店「豆腐百景」の店主・矢吹史子(やぶきふみこ)さんです。

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大心社長には3人お子さんがいらっしゃいます。どうしても豆腐が食べられない子が1人いらっしゃるそうですが、今野さんという方から聞いた評判のお店に行ってみたところ、豆腐で作ったというジェラートがあって、その子に食べさせたところジェラートは美味しい!と喜んで食べたんだそうです。

矢吹史子さんは、秋田市将軍野にある実家がお豆腐屋さん。当たり前のように毎日、出来立てのお豆腐を食べて育った史子さんは、編集の仕事で、昔たくさんあったお豆腐屋さんが次々と無くなり、今は数件しかないという事を知り、何とかしないといけないと考え行動!

昨年の7月に、昔のように会話が出来る豆腐屋さんを作ってしまったということでした。
しかも今の時代にマッチするようなアイディアいっぱいの内容です。スタジオに持って来てくれたのは、「出来立てよせ豆腐」と油揚げと厚揚げの間のような真食感の「よじろ揚げ」

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大昔、秋田の殿様につかえていたキツネの優秀な飛脚の、「よじろ伝説」から名前を付けたそうです。専用の甘めのタレをかけて食べさせて頂きましたが、普通のお醤油をかけても十分に美味しく食べられましたよ。

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2号店は秋田市のミルハス向かいにある秋田市文化創造館内にもあります。「納豆あねちゃ」と呼ばれていたMichikoは、子供の頃から、豆で作った食べ物が大好きで、豆腐と納豆は毎日欠かさず食べていました。だから、高齢になっても元気に過ごせているのかなあと思っています。今度は、お豆腐で作ったデザートを食べてみたいです。

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尚、史子さんは玉置浩二さんの田園を聞くとやる気になるので仕事始めには、必ず聞いてから仕事に入るそうです。

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