ABS秋田放送

2015年4月25日

おにぎり

 おにぎりを持ってどこかに出掛けたくなる季節がやって来た。眺めのいい場所に腰をおろし、鳥の声や風の音に耳を傾けながらおにぎりを食べると、季節ごといただくようで実に美味しい。

 私のおにぎりは三角形。中身はシャケか梅、時々明太子。海苔は、真ん中の手で持つあたりだけに貼る。そうそう、たまに甘辛醤油をつけて焼おにぎりにすることも。そのときは昆布の佃煮を少し入れたり。

 おにぎりは、誰が作っても同じようで、実は作りかたに人それぞれの特徴がよく表れるものだと思う。形も三角だったり丸だったり、海苔も、真っ黒に包んでしまう人もいれば、私のように部分的な人も。中身だって様々。タラコひとつとっても、そのまま入れる人もいれば、焼いた方がいい人も。学生時代、みんなでおにぎりを作る機会があった。並べると本当にいろんなおにぎりがあって面白かった。俵型のおにぎりを作った友人がいて、彼女はそれでしか作ったことがないと言う。山陰の出身だったが、おにぎりにも地域性があるのだろうか、それとも彼女の実家の習慣なのか定かではないけれど。

またある時、親戚の集まりで、女たちがおにぎりをたくさん作ったことがあった。子供たちが集まっている食卓にそのおにぎりを持っていくと、みな口々に、『これ、お母さん握ったおにぎりでしょ。』とか、『これ、うちのと違う味がする』などと言うのだ。このときはみんな同じ材料でおにぎりを作っていたのだが、微妙な握り加減でわかるらしい。

 最近の子供たちは、よその家のおにぎりを食べたがらなくなっていると聞く。知らない人が握ったものは口に入れたくないと言うそうだ。今は、おにぎりよりも、握らないでごはんをのりでサンドイッチにしたようなオニギラズが人気だが、オニギラズという発想は、そんな子供の気持ちに対応しているところもあるのかもしれない。握らないので、大きな具もはさめるオニギラズは、それはそれで、楽しくて美味しいお弁当だとは思うが、その一方で、コンビニのおにぎりは食べることができても、友達のお母さんのおにぎりは苦手、というのは、なんだか今の時代のうす寒さを感じる気もする。

 我が家では子供が小さい頃、おにぎりを持たせると、『おにぎりあんまり好きじゃない』と言うことがあった。どうして、と聞くと、『おにぎり食べると胸がつまる』と言った。どうしてだろうと、私は友人に相談した。すると、その友人は『たぶん、握り方じゃない?あんた石みたいなおにぎり作ってるんじゃないの?』と笑った。言われてみてそうかもしれないと気づいた。崩れることだけ考えて、しっかり握りすぎていたのかもしれないと。それからは、握りすぎないように気をつけて、子供も普通におにぎりを食べるようになった。

 そういえば私の母はこんなことを言っていたっけ。
『おにぎりは、ふんわりしっかり、口に入れたらほぐれるくらい。』
その母は、人生も終わりに近づいた頃、とにかくおにぎりを食べたがった。甘辛にした醤油を少しつけて香ばしく焼いたおにぎりを所望した。亡くなる一日前、姉が握った一口おにぎりが、母の最後の食事になった。
 
浄土真宗の母の仏壇には毎日白いご飯が上がるが、姉と私はよく冗談で、『あんなに好きだったんだから、仏壇のご飯も醤油つけて焼いてあげようか』などと笑いあう。

 おにぎりは同じようで奥が深い。
 おにぎりは家族の形かもしれない。
 『ふんわりしっかり。口に入れたらほぐれるくらい。』
 がちょうどいい。

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