ABS秋田放送

カテゴリ「廣田裕司」のアーカイブ

2013年3月26日

2013年3月26日(火)

あさ採り卒業、廣田です。

2009年3月から約4年、週の始まり・月曜火曜の「あさ採り」を担当し、秋田の朝を盛り上げてきました(自称)。

「出勤前に聞いてるよ~」
「おめがたのラジオおもしれ~」
などなど、ラジオの向こう側にいる皆様の反応がいつもうれしかったです。
ありがとうございます。

田村陽子さんとのペアから始まり、
幸坂理加AN、工藤牧子さん、吉村優さん、八重樫葵ANとも組みまして、
最終的に、月曜日はまた陽子さんとのコンビに。

そんな陽子さんも25日の放送日記で書いていますが、
一番記憶に残っているのは2011年3月14日月曜日の放送です。

あの東日本大震災が発生してから、ABSラジオとして最初にレギュラー放送に戻ったのが、この日の「あさ採り」。

自分達に何ができるのか、
何をすべきなのか、
いつも以上に心を配りながら放送をお送りし、
終わってから、果たして正解だったのか、悩んだ記憶があります。

ただ、そんな悩みを抱きながらも、
ラジオ」の意味の大きさを再確認した放送でもありました。

4年間の早起きで学んだことを今後の放送にますます活かしていきます。

4月からは月曜火曜の「ごくじょうラジオ」を担当します。
ますます「個性」="personakity"を爆発させるパーソナリティでありたいと思います。

そして、朝から昼に、いつかは...夜に!?
目指せ深夜番組!

2013年3月11日

2013年3月11日(月)

廣田です。

東日本大震災から2年になるのを前に、
被災地の一部、岩手県大槌町釜石市に行きました。

ちょうど1年前にも同じく大槌町と釜石市に行きました。
震災から2年がたって、何が変わったのか、あるいは、何が変わっていないのか。

私の場合、通年で被災地を見てきたわけでもありませんし、
被害を受けた場所の全てを見たわけでもありません。

ただ、放送という仕事を通じて、
少しでも何か伝えられればと思い、
去年も今年もあさ採りの中で見て感じたことを話しました。
そして、この放送日記でもお伝えします。

2年が経っても大槌町はさら地のまま。


大槌港から約1.5km以上離れている大槌中学校も、
1階部分に津波のつめ跡が残ったまま。

ただ、1年前は町全体がセピア色に見え、寂しい感じでしたが、
今年はその中にも鮮やかな色が見えました。

左奥には骨組みだけの建物も見えますが、
右手前の建物には、壁に綺麗な絵が描かれていました。

上に上に伸びていく大木と、花。
逆側の壁には、虹の絵もありました。

仮設住宅で暮らす人達が、また地元で集まれるような場所を提供しているお店もありました。
釜石市でも、さら地の上で、キッチンカーや大型バス型の食堂という形で営業しているお店もありました。
再生」に向けた動き・思いをあちらこちらで感じました。

もう一つ、去年と今年で違ったのは津波が到達したことを示す道路標識



坂の途中に標識があります。
「こんなところにまで津波があがってくるのか」と驚きました。

津波に関しては秋田にとってもきちんと対策を取らなければならない問題です。

被災地への思い・支援を風化させないと同時に、
いつ来るかわからない災害に対する警戒、
備えの大切さも風化させてはいけないと感じた2013年3月です。

2013年2月27日

2013年2月25日(月)

ゲレンデから、再びスタジオの貴公子へ、廣田です。
(※あくまでも個人の感想です)

鹿角国体の取材を終えて、2週ぶりに、あさ採りのスタジオに戻りました。
23日放送の「なんてったって日曜はスポーツ!」でも、その鹿角国体についてお伝えしましたが、
24日のあさ採りでも「月曜もスポーツ」と題して、さらに国体について、お伝えしました。

雪山を長靴で駆け回って取材し、さらに県勢の大活躍にも巡り合えた今回の国体。
日曜はスポーツだけでは収まりませんでした。

小田和正さん風に言うと
「伝えたいことが、あるんだっ」てな感じ。

こちらが
ホワイトカーペット」と実況した、クロスカントリーのゴール前、最後のストレート。
このホワイトカーペットに戻ってくると、ハリウッド俳優がリムジンを降りたときに負けないぐらいの歓声が、響き渡ります。
ちなみに、偶然にも放送した24日は、アメリカではアカデミー賞発表でレッドカーペットが敷かれておりました。

そして、そのゴールで、アンカー・倍賞和己(花輪高3年)を待ち受けていたのが...

クロスカントリー少年男子リレーチーム!!
1走・佐藤太一選手(秋田北鷹高3年)
2走・田中聖土選手(花輪高2年)
3走・児玉宗史選手(十和田高3年)

少年男子リレーでの秋田の優勝は44年ぶりの優勝!
おめでとう!


こちらが鹿角の山から下りてきた?なまはげさん。
「オー!」と意気込みを語ってくれました。

そして、こちらが2年前の鹿角国体で私が取材して、今年、再会を果たした札幌からの御一行。
2年前と同じく今回もジャンプ競技に出場する全選手を応援していました。

そして、中央のタテノさんがインタビュー終了後、わざわざ手袋をとって、ぎゅっと両手で、私の両手を握りしめてくれました。
2年前の鹿角国体は2011年2月。
国体が終わってからの3月に東日本大震災が発生しました。

「言葉ではなく、この想いを伝えるために今回来ました」
と話すタテノさん。

東日本大震災から、もうすぐ2年です。
札幌の方がこんなに東北の事を思ってくれています。

スポーツの感動だけではなく、いろんな想いを抱くことができた国体。

国体だからこそスポーツの感動にとどまらないのかもしれませんね。

ところで、国体前の1月29日のあさ採り放送日記でご紹介した金塊ティッシュ。
国体から帰ってきた週にはきれいに役目を終えました。

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